発掘に携わった皆さんが「まさに歴史的発見!」と胸を張る古代道路遺構の現地説明会が6月3日に開かれました。
まずは当日の模様を写真でどうぞ。トップ写真は南側を向いたところ。説明員が立っておられるのが道路面(路床)です。手前の窪みは弥生時代の住居跡だそう。
次に西側側溝です。東側に比べて不釣り合いなサイズで、何らかの区画溝ではないか、とのことでした。
北側を向いたところ。溝がもう一本あり、道を作り直した形跡でないか、とのこと。
最後は謎のピット痕?です。古代道路ではよく見られる構造ですが、何のためのものかよく分からない、とのことでした。
現地の詳細図は配布資料に掲載されていたこちらをご覧下さい。
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幅9mのこの古代道路は、国庁に繋がる「メインストリート」であったと、県ではお考えです。このブログでは便宜上、勝手に“南大路”と呼ばせて頂きます。
さて、この南大路の遺構がなぜ歴史的発見なのでしょうか?
これまでの発掘調査の成果の上に、南大路の想定ルートを落としたイメージ図がこれです。ベースは明治時代の迅速測図。
現代の地図で見るとこの通りです。
もうお分かりになりましたよね?(笑)。長年議論が続いてきた国庁の位置が、ついにほぼ確定したのです。ズバリ、市営国府台野球場です。
地元の皆様、こうなったら一日も早く発掘調査をお願いします!
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さて、ここからがこのブログの真骨頂です(笑)。
このJ字の南大路ですが、これまでの予想よりかなり東に傾いていました。東海道駅路の側溝/区画溝に並行していると考えられていたのですが・・・。
当然、説明員の方にお尋ねしました。すると、東海道は付け替えられているからね、とあっさりと一言。そうでした!、発掘調査で8Cに使われなくなったという6.9m幅の直線道が見つかってましたよ!、幅15~18mの巨大道路の脇に。
この直線道の位置は、オレンジ線のあたりです。確かに並行しているといっていいでしょう。
賢明な読者諸氏なら、なんで8Cに付け替えられ、しかも幅がいきなり倍以上になってるの?、とお疑いのことでしょう! スルドイ!(笑)
東海道駅路は8C後半に大きなルート変更がありました。詳細を繰り返すのは避けますが、三浦半島から東京湾を渡海する反時計回りルートから、東京低地を通過する時計回りルートへと変わっています。下の図をご参照下さい。
下総国府の東を東海道駅路が通過することになったのはこの時以降のこと。それまでは、6.9m幅の伝路サイズの道しか存在しなかったが、この頃に幅15~18mという駅路サイズへ作り替えられた、と推測されています。
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南大路の傾きを見て、東海道駅路の時代変遷に想いを馳せる—。古道地形マニアとしては大満足な一日でした。
お休みの日なのに現地説明会で対応頂いた皆様、お世話になりました。感謝!