現地レポート

下総国府の“南大路”が示す国衙の在処 ~国府台遺跡第192地点の現地説明会レポート~

発掘に携わった皆さんが「まさに歴史的発見!」と胸を張る古代道路遺構の現地説明会が6月3日に開かれました。

まずは当日の模様を写真でどうぞ。トップ写真は南側を向いたところ。説明員が立っておられるのが道路面(路床)です。手前の窪みは弥生時代の住居跡だそう。

次に西側側溝です。東側に比べて不釣り合いなサイズで、何らかの区画溝ではないか、とのことでした。

国府台遺跡第192地点 西側側溝

北側を向いたところ。溝がもう一本あり、道を作り直した形跡でないか、とのこと。

国府台遺跡第192地点 北側

最後は謎のピット痕?です。古代道路ではよく見られる構造ですが、何のためのものかよく分からない、とのことでした。

国府台遺跡第192地点 ピット列

現地の詳細図は配布資料に掲載されていたこちらをご覧下さい。

千葉県教育庁教育振興部文化財課『市川市国府台遺跡の見学会』2017年 第192地点現地説明会資料
千葉県教育庁教育振興部文化財課『市川市国府台遺跡の見学会』2017年 第192地点現地説明会資料
千葉県教育庁教育振興部文化財課『市川市国府台遺跡の見学会』2017年 第192地点現地説明会資料2
千葉県教育庁教育振興部文化財課『市川市国府台遺跡の見学会』2017年 第192地点現地説明会資料2

幅9mのこの古代道路は、国衙に繋がる「メインストリート」であったと、県ではお考えです。このブログでは便宜上、勝手に“南大路”と呼ばせて頂きます。

さて、この南大路の遺構がなぜ歴史的発見なのでしょうか?

これまでの発掘調査の成果の上に、南大路の想定ルートを落としたイメージ図がこれです。ベースは明治時代の迅速測図。

市川市国府台遺跡 迅速測図 イメージ図
出典:歴史的農業環境閲覧システム(農研機構農業環境変動研究センター)

現代の地図で見るとこの通りです。

市川市国府台遺跡 地理院地図 イメージ図

もうお分かりになりましたよね?(笑)。長年議論が続いてきた国衙の位置が、ついにほぼ確定したのです。ズバリ、市営国府台野球場です。

下総国庁? google earth.jpg)

地元の皆様、こうなったら一日も早く発掘調査をお願いします!

【補足】2025年3月現在の状況

その後、野球場の発掘調査が行われ、残念ながら国庁は見つかりませんでした。

市川市の発表を受けた報道によると、国庁の予想位置は当初より南寄りに修正され、千葉商科大学構内と見られているようです。

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