弥生時代の環濠集落跡で知られる吉野ヶ里歴史公園は、長らくあこがれの場所でした。今は亡き木下良先生が最初に復元された“記念碑的”駅路である西海道肥前路。それが丘陵部を東西に横断し、公園のど真ん中に切通しが残されているのです。
発掘調査時の姿はこちらのサイト
からご覧下さい。
なお、東側に絵に描いたような直線痕跡がありますが、なぜか走行方向にズレがあります。とても気になりますが、私の方法論では不明です。
![IMG_0137](https://c2.staticflickr.com/6/5347/18080588051_37facdd190_n.jpg)
そして、意外に知られていませんが、このラインを東に延長した先にも、林の中に切通しが眠っています。鳥ノ隈(とりのくま)遺跡として知られ、側溝心々間距離5.3mの道路遺構が確認されています。
![IMG_0019](https://c1.staticflickr.com/9/8771/18079876785_978346b076_z.jpg)
5mメッシュ(標高)データで立体地図化すると全体像が見えてきます。
![島の隈遺跡切通し](https://c4.staticflickr.com/8/7782/17892258808_f8f9fe0633_n.jpg)
想定ルートが明確ですから、駅路の痕跡がどのような姿で残るものか、検証するのにもってこいです。ハンディGPSで自分の位置を確認しながら、ルート上を東に歩いてみましょう。
まずは、田圃の中の窪地です。これだけ見ても、駅路が走っていたとは想像しがたいですね。
![IMG_0039](https://c1.staticflickr.com/9/8803/17892377258_7e5b055482_n.jpg)
その先の細長い地割を残す畑地です。これも知っていないと気付かなさそうです。
![IMG_0074](https://c1.staticflickr.com/9/8798/18053934466_43fcbb8ee7_n.jpg)
極めつけは、この不思議なかたちをした小さな田圃?。これまでに、どんな歴史があったのでしょうか?(笑)
![IMG_0068](https://c1.staticflickr.com/9/8839/18081394511_b9c6811c59_n.jpg)
こうして見てくると、フィールドワークにおいて、切通しの凹道をねらうことの重要さを改めて感じます。その次が、帯状地割ですが、これはGoogleマップの衛星写真が強い味方となります。
最後に今回の想定ルートをご紹介いたします。