現地レポート

因幡国の古代道路 ④柳並木を持つ駅路の風景:鳥取市青谷町

全国で初めて街路樹が植えられた駅路遺構が確認されたのが、
鳥取市青谷町の青谷横木(あおやよこぎ)遺跡です。

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柳並木が描かれた古代道路の復元イラストは大変に新鮮で、研究者の注目を集めました。

以下、図、イラストはすべて、「鳥取県埋蔵文化財センター調査報告書67
一般国道9号(鳥取西道路)の改築に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書ⅩⅩⅩⅦ
鳥取県鳥取市青谷町 青谷横木遺跡」2018年より

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柳並木の直線道路の姿は、規模は違えど宮都の大通りを彷彿とさせます。なんだか、みやびな感じですね(笑)。

ただし、水を差すようですが、植樹されていたのは50~100mの区間に限られていたようです。

下図の「施設エリアB」と示された官衙関連施設と推定される場所周辺のみなのです。A,B二か所では、木簡や墨書土器、刻書土器、硯などの文字関連資料などの出土遺物が集中しています。

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調査報告書では、柳並木に囲まれたエリアBについて、役夫や庸調物運脚夫ら往来する人々のための宿泊供給施設「布施屋」が設けられていた可能性もあるとしています。

そうだとすれば、緑の柳並木に囲まれた布施屋は一体の景観を形成し、さながら“砂漠のオアシス”のように見えたことでしょう。

青谷エリアは、地形的に駅路の難所であったと考えられています。東丘陵は標高が100 ~ 150m前後もある上、平地部では8C後半から9C頃まで潟湖が広がっていました。

駅路を敷設できる場所も限られていて、先行して見つかっていた青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡での粗朶敷工法を使った道路遺構などと合わせ、下図の通りルートが推定されています。

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では、現地を歩いてみましょう。

まずは、青谷横木遺跡ですが、現状はこの通りです。南方向から見たところ。
発掘のきっかけとなった国道9号(鳥取西道路)が開通を待つばかりとなっていました。

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次に東方向から見たところ。丘陵裾野に沿って駅路が伸びていたと推定されています。

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同じあたりを反対の西方向から見たところ。畑が帯状地割に見えなくもありませんが・・・。

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推定ルートの東端部で、この先、駅路は丘陵上へ急な坂を上っていたと考えらえています。

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あまりの藪の濃さにひるんでしまい現踏していませんが、3D地図でみるとそれらしい地形が見て取れます。

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現代の自動車専用国道が古代の“高速道路“の上に建設されたというのは、興味深い一致です。

さて、駅路は丘陵沿いを進んだ後、湿地帯を西に横断し、再び丘陵沿いに取り付きます。現道の右側が推定ルート。おお!、向こうに虹がかかってますね(笑)

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丘陵沿いに見られるのが、この地形。

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道路を含めて約17mの帯状の田んぼが続き、駅路の帯状地割と考えられています。(注:その後発掘確認されました)

この先が青谷上寺地遺跡で真っ直ぐに進み丘陵の先端にぶつかります。

なお、上寺地遺跡は 礫敷きの路面で約4m,盛土の基底部で7.8 mのやや狭い道路面が確認され、全国的な駅路幅減少以降の姿であろうと推定されています。

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3D地図でみると位置関係はこの通り。丘陵上に走る点線が、故・木本雅康さん(当時:長崎外国語大学)が推定されたルートです。

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さて、ここからが興味深いところです!

ここから先、伯耆国との国境まで直線で2㎞弱で、ルートについては諸説あります。下図をご覧下さい。

木本雅康「日本古代の駅路と伝路」2018年より

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Dが丘陵先端部で、hが伯耆国の芴賀(くつが)駅と推定されている石脇第3遺跡です。以前は、Dから南下しt、r、q、sを通る迂回ルートが考えられていましたが、出雲国で丘陵上を走る杉山遺跡が見つかったことで、uへ
と尾根上を進む sへと新ルートが有力視されるようになりました。

県埋蔵文化財センターさんも調査中とのことで、現踏してきました!

まずは、麓の相屋神社から。

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その後ろの斜面を杣道のような道路が上っています。

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中世・近世街道のような佇まいで、なかなか立派。古代道路を踏襲したのかもしれませんね。

ただし、谷底にはこのような幅広い平らな斜面が広がっています。畑として使われたこともあるようですが、やっぱりこちらが本来の古代道路かも?と想像が膨らみます(笑)

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さあ、坂を上り切った先に待っていたのがここ!

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りっぱな切通です! 県埋蔵文化財センターさんも確認されていました。反対側から見たところは下の通り。

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大規模な工事が施されているのは明瞭で古代道路跡と言ってしまいたいところですが、中世城郭が周辺にあったようでその一部である可能性もゼロではありません。お城の縄張は全く門外漢なんですよねぇ。。。

この先、西側にも尾根上に大きな切通地形が残っています。
分かりにくいとは思いますが、

右から左にかけてお椀状の道路痕跡が認められました。

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立ち木を切り払えば、出雲国の杉沢遺跡周辺のような凹道↓が確認できるのかもしれませんね。

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以上で、今回の因幡国シリーズは終わりです。お付き合いいただきありがとうございました。

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