在宅探索の楽しみ

大和国の古代道路を仮想探索! ⑥下ツ道の起点・丸山古墳は蘇我稲目の墳墓!?

大和三道は東西にほぼ等間隔で並んでいます。横大路上で計ると約2.1kmで、当時使われていた高麗尺35㎝強でちょうど6,000尺。大宝律令以前は、6尺で1歩(ぶ)という単位だったそうですから、1,000歩という象徴的な距離で設計されていたことになります。

また、1,000歩間隔への設計者のこだわりを感じさせるのが、上ツ道と箸墓古墳との交点です。下図の通り、道は後円部に沿ってぐるりと迂回しています。数十m東西にずらせば直進できたのに、あえてこの”1,000歩ライン”を選んでいます。

箸墓古墳

もっとも、この1,000歩間隔は、横大路上でこそ正確ですが、南北に進むと僅かながらズレが生じています。。例えば、中ツ道は、北側で西に振れわずかに傾いています。当時の測量技術の限界を示すものと考えられています。

以上などから、奈良盆地の正方位計画道路や土地区割は、下ツ道と横大路を基準に、一体的に設計されていることが伺えます。

ところで、下ツ道はどこを起点に設計されているのでしょうか? 近江俊秀氏は、直線区間南端にある丸山古墳をそれにあてています。全長318mの巨大な前方後円墳で、県下では最大、全国でも6位の規模です。位置をご確認下さい。

丸山古墳
丸山古墳と下ツ道

この説によれば、丸山古墳は、盆地全体の土地計画の基準点となったともいえますが、その埋葬者とは誰なのでしょうか? また、計画全体の企画・立案者は誰なのでしょうか?

近江氏は、蘇我稲目・馬子の父子がそうだとし、「馬子は道路網建設と父、稲目から受け継いだ耕地拡大政策とを一体のものとして立案するなど、非常にスケールの大きな政策を推進した」(前掲書)とされています。

稲目の古墳といえば、古代史ファンの方は、”日本のピラミッド”などと、先年話題となった都塚古墳を思い出されることと思います。正方位計画道路の成り立ちを巡っては、まだまだ議論が続きそうです。

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