現地レポート

出雲国の”早期警戒ネットワーク”烽火群 緊張する国際情勢の影

国府北方の”監視塔”嵩山

出雲国府から北を望むと嵩山(だけさん、標高297 m)の山頂が目につきます。風土記に見える布自枳美烽(ふじきみほう)が置かれていたと推定されています。

内陸部にある国府域ですが、日本海沿岸で異変があればこの布自枳美烽が狼煙を上げて警報を伝えたことでしょう。風土記編纂時の奈良時代初めは、新羅との緊張関係が高まっていた時期でした。

では逆に、布自枳美烽からはどんな眺望が開けていたのでしょうか? 嵩山に登ってみました。

まずは西方。宍道湖のはるか向こう出雲大社の辺りまで一望に出来ます。

この景色に当時の烽火台群の推定位置を書き入れたのが下図です。

多夫志烽(たぶしほう)、馬見烽(まみほう)推定地は2か所、土椋烽(とくらほう)が見えます。

万が一の有事の際は、西側から上陸してくる仮想敵に対し、各烽火台が次々と狼煙を上げて警報を伝えあったことでしょう。さながら”早期警戒ネットワーク”ですね。

布自枳美烽は国府の”監視塔”の役割を果たしていたといっても過言ではないでしょう。

なお、東側の中海方面については、布自枳美烽自体が抜群の眺望を持っています。右奥に大山が浮かんでいるのがお分かりでしょうか。

さて、ここで風土記に描かれた諸施設の配置図をご覧ください。

古代山城こそありませんが、九州大宰府を彷彿とさせる警戒態勢ではありませんか? 時代背景など詳しくは杉沢遺跡などについての過去記事をご参照下さい。

出雲市教育委員会 2017
「出雲市の文化財報告33 出雲国古代山陰道発掘調査報告書 出雲市 三井Ⅱ・杉沢・長原遺跡の調査」

烽火台に登り古代景観をイメージすることで、当時の緊張する東アジア情勢の影を改めて強く感じました。

おまけ

今回国庁跡を訪れたところ素敵なイラスト付きの案内板が建てられていました。ブログ主は誰にでも分かりやすい案内板は、遺跡の情報発信の第一歩だと考えます。

また、松江市は小泉八雲ゆかりの地で各所にこんな案内板が設置されています。こちらは嵩山登山道入り口。

山頂には神社もあり絶景も広がり、散策にはおススメの場所です。

終わり

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