伝説に見える「尾津」
『古事記』『日本書紀』が編纂されたのは奈良時代初めのこと。そこに描かれたヤマトタケルの東征ルートは、当時の交通路を復元するヒントになってきました。
伊吹山の神に敗れ終焉の地・能褒野に至る途中で登場する「尾津」には、東海道ルートを示唆する興味深い伝説が記紀に記されています。
ヤマトタケルが「尾津」に着くと、東征へ向うときに食事をした際、松の下に置き忘れていった剣がそのまま残っており、喜んで一首詠います。
「尾張に 直に向へる 一つ松あはれ 一つ松 人にありせば 衣着せましを 太刀佩けましを」
訳:尾張に向かって真っ直ぐに生えている一本松よ 人であったらなら服を着せ太刀を佩かせてやるものを
この伝説の地とされる神社は、三重県桑名市多度町に三社存在します。
一つはこの戸津尾津神社。
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「日本武尊尾津前御遺蹟」となっているのが、こちら、御衣野尾津神社 (草薙神社)です。
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境内には”伝説の松”が大切に保存されています。
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いずれにせよ、「尾津」の地が尾張への玄関口であったことを伺わせる伝説であることは間違いありませんね。
延喜式に見える渡海駅・榎撫駅家と周辺地形
いつものバイブル『地図でみる東日本の古代』によれば、奈良時代以降、伊勢国の榎撫(えなつ)駅家と尾張国の馬津駅家は海路で結ばれていたとされています。
現在では木曽三川の運ぶ土砂で陸化が進んでいますが、当時は伊勢湾が広がっていたと考えられています。
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『地図でみる東日本の古代 律令制下の陸海交通・条里・史跡』平凡社
当時の海の広がりを教えてくれるのが、柚井遺跡です。1920年代の発掘調査で、平安時代の祭祀関連の遺跡ではないかとされていますが、注目すべきは現地の地層です。
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貝層とスクモ(泥炭土)層からなる地層が厚く堆積しており、この中から平安時代の木簡や土器類が見つかっています。つまり、当時、海または川のすぐ近くに位置していたということです。
カシミール3Dで現在の標高を色分けしたものが下図です。柚井遺跡周辺と同じく標高1m程度の紺色のエリアは、古代において海であったと考えられる訳です。
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伝説と地形から駅家の位置を推定すると・・・
ヤマトタケル伝説と古地形から港津の好適地を探すと、やはり冒頭の戸津尾津神社が有力に見えます。参道も南に緩やかに下っていきます。
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下図で見るように、標高7m程度の微高地上にあり、かつては海に突き出した岬のような姿だったことでしょう。
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境内裏手には多度川が流れていて、往時を偲ばせます。
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地元研究者の間では、駅家比定地として柚井遺跡と戸津尾津神社の二ヵ所を巡り議論が続いているようです。駅家に至るまでの伊勢国北部の東海道ルートについても、発掘事例がなく定説もない状態ですので、なかなか決着がつきそうもありません。
当ブログとしては今回、伝説と古地形から想像の翼を羽搏かせ、歴史推理を楽しんでみました。
終わり
【おまけ】ヤマトタケル終焉の地・能褒野
ヤマトタケルの陵墓に治定されている能褒野王塚古墳(三重県亀山市田村町)です。東征後に没し白鳥となって飛び立った、というあの伝説の地。明治の治定後には神社も創建され一帯は公園として整備されています。ヤマトタケル伝説に想いを馳せるにはおススメの場所です。
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