石岡駅から水戸方面へ約4km進んだ「開拓踏切」の東に、謎の切り通し状地形があります。案内板では、「推定約1200年前に構築された古代官道(駅路)の残存遺跡の一部である」としています。まずは写真をご覧下さい。
なんでこれが謎なの?、とご不審と思います。実は、定説的な想定ルート(※資料編ご参照)はこの西隣を通過しており、駅路痕跡らしい浅く広いホリワリが存在するのです。どっちが本物?!(笑)
まずは、ファクトをおさらいしてみましょう。お馴染み、明治期初めの迅速測図では、ほぼ想定ルート(青線)に沿った道だけが見えます。緑線は切り通し状地形。
ところが、明治36年(1903年)測量図で見ると、どうやら切り通し状地形も道として使われていたようです。常磐線を敷設する際に道の付け替えがあったのかも。
さらに、昭和15年(1940年)修正版では、切り通し状地形の方の道だけが描かれています。
1946年の米軍空撮写真では、現道と同じ場所に道筋が見えますが、切り通し状地形の方は不明瞭です。
最後に立体地形図をご覧下さい。複雑な起伏が見えます。
なお、現地探索では、五万堀古道で出会った他所の切り通し状痕跡と比べ、違和感を持ちました。特に、平らな底面が河原近くで大きく広がっている一方、頂上付近では徒歩道レベルまで狭まっているのが気になります。
以上の通り、謎は深まるばかりです。なにかご存知の方、いらっしゃいませんか?
◎参考資料
現地案内板より
木下氏による想定ルート。Aは国府、Kは安侯駅想定値、Eが開拓踏切。(木下良 2013年『日本古代道路の復元的研究』)