現地レポート

豊前国の古代駅路 ①宇佐神宮と勅使街道

全国4万余の八幡宮の総本社・宇佐神宮。ご神域の西側を流れる寄藻川に、桧皮葺の屋根を持つ木造の神橋「呉橋(くれはし)」が架かっています。コンクリートの部分は河川拡幅に伴い付け足されたものです。

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橋を渡る西参道こそが今回の旅の目的で、古代より都と神宮をつないできた「勅使街道」です。周辺道路が付け替えられる昭和初期まで、神宮の表参道として賑わっていました。今でも真っ直ぐな道が伸びています。

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平安時代まで神宮には、天皇即位や国家異変の度に、都から勅使が派遣されていました。山陽道から西海道(豊前・豊後連絡路)を進んだ一行は、駅館川のほとりにあった宇佐駅家で支度を整え、西参道へ進んだそうです。

折角ですから、勅使になったつもりで、実際に駅家比定地から歩いてみました(笑)。新バイブル『地図でみる西日本の古代』だとこんな感じです。

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島方洸一 企画・編集統括『地図でみる西日本の古代 律令制下の陸海交通・条里・史跡』平凡社 2009年

周辺を探索したところ、須恵器やかわらけが散布する微高地がありました。ここに駅家があったつもりで、気を引き締めて出発!

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駅館川を渡ります。「やっかんがわ」と発音するそうですが、駅家に由来するのでしょうか。問題は河原から丘陵上までの道筋が不明であること。痕跡を探して歩き回りましたが諦めて、最も雰囲気のあるこの切通し坂を上ります。

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ほどなく見えてくるのが、百体(ひゃくたい)神社と凶首(きょうしゅ)塚です。720年に九州南部の隼人が大和王権に反乱を起こした際、八幡神も討伐に参加。持ち帰った100人の隼人の首を塚に葬り、慰霊のために神社を建てたとされています。ただし、塚は墳丘を失った石室だそうです。

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この辺まで来ると、西参道が見えてきます。いったい何人の勅使がこの景観を見てきたのでしょうか。

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西参道から呉橋を渡り境内を進むと、本殿の南中楼門(みなみちゅうろうもん)の前に出ます。勅使だけが通ることを許されているため「勅使門」とも呼ばれています。ここをくぐると本殿です。勅使は斎戒沐浴して神殿に額づき神託を賜ったそうです。

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