映画『となりのトトロ』の舞台とされる狭山丘陵の東端に、標高89.4mの八国山(はちこくやま)があります。ほら!、猫バスの最初の行き先が・・・
鎌倉幕府滅亡前夜、元弘3年(1333年)5月の久米川の戦いで、新田義貞が陣を張ったとされ、「将軍塚」と書かれた石碑が建てられています。
鎌倉街道上道(↓赤線)は当時、丘陵を東へ迂回していたようです。
ところが、東山道武蔵路(↓青色二重線)はほぼ真っ直ぐに、八国山西側の鞍部を越えていたと考えられています。
小さな丘ではありますが、麓からは約25mの標高差があります。駅路は本当にここを駆け上っていたのでしょうか?
切通しのような凹道を求めて現地を歩いてみました。
まずは、富士塚または古墳跡と言われる塚の上に立つ石碑からスタート。樹木が茂り、往時の眺望はありません。
尾根上を西に歩いていくと、最低鞍部の北から、藪に覆われた山道が下っているのを見つけました。
迅速測図にも見えますから、150年前にもあった由緒正しい山道ですが、やはり幅がありません。
谷戸状になっている南斜面にもチャレンジしましたが、笹薮に阻まれギブアップ(苦笑)。
結局、あやしい地形を見つけることは出来ませんでした。
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現地探索は成果なしでしたが、実はかつて南斜面でトレンチが何ヶ所か入れられ、約7m幅の路面と考えられる硬化面が確認されています。
8世紀前半から9世紀中頃のものと思われる須恵器や灰釉陶器片なども見つかっています。
わたくし凹道探索をしていて、須恵器片や灰釉陶器片の散布を見つけると、官衙や駅路の痕跡が近いことを感じます。当時の高級食器ですからね!
①でご説明した通り、武蔵路は宝亀2年(771年)、駅路から外されています。
その後、整備が行き届かず土砂に埋もれ、丘を迂回する鎌倉街道へと移り変わったのかもしれません。
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なお、あのトトロの舞台に出かけて、なぜか古代道路を探してきたわたくしに、家族の視線が微妙だったことは言うまでもありません。( ノД`)シクシク…