本シリーズでは旧版地図や3Ⅾ地図、航空写真などを使って古代道路の痕跡を探すプロセスを公開します。古代東海道の遺構が確認された五万堀古道(ごまんぼりこどう)遺跡が起点。お読みになるとご自身で地元の駅路跡を探してみたくなること請け合いですよ!
さて、第一回はまず、遺跡のご紹介からスタートします。
五万堀古道遺跡とは?
五万堀古道遺跡は茨城県笠間市南東部、涸沼川北岸の台地上に位置しています。
源義家の五万の軍勢が奥州征伐の際に通ったとの伝承がある掘割状の直線道路が残っていて、「五万堀」と呼ばれていました。源頼朝も奥州征伐で使ったとの伝承もあり、「頼朝様道」との呼称も伝えられてきたそう。
古代から数えきれない将兵がこの道を通って東北地方へ向かったことを、有名人お二人に仮託したのだと考えられています。
いずれにせよ、この道は常陸国府から安侯(あご)駅家を経て河内駅家に達する古代東海道の一部であると推定されてきました。
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発掘調査が行われたのは1998-99年のこと。側溝芯々間距離が6~11mの直線道路遺構が280mにわたって確認されました。
何故かあまりメジャーでない遺跡です。
自然地形の高い部分はオープンカット(切通し)とし低地は盛土をして、路面の高低差を少なくしていることが分かりました。低地の地盤の弱いところでは波板状凹凸面(なみいたじょうおうとつめん)により地盤を固めています。
さらに、路面にできた窪みなどを補修していた痕跡も多数みられたことから、計画的に整備され長期にわたり組織的に管理・運営されていた古代官道であると結論されました。
なお、出土物から、7世紀後半から10世紀前半まで道路として機能していたと見られています。
遺構は発掘調査後は長く、バラス敷きの道路のような姿で残されていましたが・・・。
近年、上に大きな工場が建設され遺構は消滅しました。そもそもが総合流通センターの整備計画に伴う発掘調査でした。
緊急調査で遺構が確認されただけでもラッキーと考えましょう!
周辺に残る道路痕跡(南西側)
遺跡のすぐ南西に、約200mにわたり切通し跡が残っています。3Ⅾ地図でもこの通りです。
故・木下良先生が紹介され、古道ファンにはお馴染み!
まずは切通し出口部分。逆台形状の地形がよく残っていますね。かつての駅路敷地の一部が生活道路として使われるのはよく見るパターンです。
左側壁面の傾斜が立って見えるのは、かつて掘り下げて畑地として使われていたためです。
北東に進んだところ。切通しの中央に立って撮影しました。奥に見える工場の辺りがかつて遺跡のあった場所です。
その下の6年前の写真と比べて頂くと地形がよく分かると思います。
周辺に残る道路痕跡(北東側)
次に遺跡の北東側です。この通り、かつての古道の帯状地割1がそのまま残っています。奥の白い建物が例の工場です。
もう少し北東に進むと、こんな帯状地割2も残っています。元々どんな地形だったかは、また6年前の写真をご覧ください。これも駅路の痕跡です。
古代東海道の痕跡を探そう!
古代東海道の遺構や痕跡はどんどん消滅していますが、実は常陸野にはまだまだ痕跡がたくさん残されています。
五万堀古道遺跡の280m区間を起点として、定規で引いたような駅路の直線性を手掛かりに、机上で痕跡探しをしてみましょう!
つづく