現地探索してきました。結論としては、本シリーズで最大の“発見”かもしれません(笑) まずは、いつも通り米軍航空写真で予習を!
![](https://64.media.tumblr.com/5f106479291f9b2bdb6810d3616a7bc9/tumblr_inline_ps369mvIxz1r4rrp5_540.jpg)
まずはA地点。低湿地から1段高くなった笹ヤブの向こうを想定ルートが通っています。林の中のヤブに踏み込むと、浅い切り通しの凹道となっていました。写真を撮ってみましたが、ヤブしか写ってませんでした(笑)
![](https://64.media.tumblr.com/67ee1156d56d1547e33582c813b0e8c8/tumblr_inline_ps36c9XAnZ1r4rrp5_540.jpg)
ヤブを突破すると田圃のやや広い畦道に出ます。写真は振り返ったところ。
![](https://64.media.tumblr.com/71c932660f80929ff0115eab6d67efbf/tumblr_inline_ps36erKTJY1r4rrp5_540.jpg)
そのすぐ先のB地点は、航空写真でもクッキリと見える切り通し状地形です。平らな部分は宅地になっていました。
![](https://64.media.tumblr.com/d2ed3b4d09e41117ac6ea60736e631f8/tumblr_inline_ps36dj0hqJ1r4rrp5_540.jpg)
これだけでお腹いっぱいな感じなのですが、地点Cにも100m以上に渡って、直線的な帯状窪地が!
![](https://64.media.tumblr.com/dc2c7f77da682c0fa26d4a20be7a5b13/tumblr_inline_ps36b0H9Az1r4rrp5_540.jpg)
![](https://64.media.tumblr.com/27ecfe52fa5bef8419899f3166c0d1d9/tumblr_inline_ps36fwmDUG1r4rrp5_540.jpg)
この緩やかな凹道、そして20mはあろうかというその幅。心のなかで叫びました。「ワレ、駅路痕跡ヲ発見セリ!」。ダメ押しが地点Dのこれまた広い切り通し状地形。写真は振り返ったところ。上部は伐採された木々で埋まっています。
![](https://kodokiko.com/wp-content/uploads/2021/02/image-113.jpeg)
![](https://64.media.tumblr.com/63a4420a9b06e0b576ad0cddd69bb496/tumblr_inline_ps36i5xkbS1r4rrp5_540.jpg)
先の地点Dにも、立派な切り通しが現道として残っています。
![](https://64.media.tumblr.com/88c408be837d351ae8859306e21624c3/tumblr_inline_ps36jzMuOr1r4rrp5_540.jpg)
ご存知の通り、アマチュアな私ですから、全くの勘違いかもしれません。でも、自分で想定したライン上にあやしい地形を見つけた時ほど、心が高鳴ることはありません。皆さんも凹道探索、いかがですか?(笑)
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【補足】木下良氏は『日本古代道路の復元的研究』(2013年)で、この区間について、「なお、工業団地北側の痕跡不明部分は、西方から谷頭が入り込んできているので、この部分を東方に若干迂回する経路をとったことが考えられる」とされています。私はさらに突っ込んで、元来は直線道だったが、谷の開析が進み、後世に付け替えられたのではないか、と考えています。
![かすみがうら市の前期駅路痕跡](https://64.media.tumblr.com/810825cbb532115f2e085bbcb0ebc431/tumblr_inline_ps36oboKWR1r4rrp5_540.jpg)