所沢市中心部に三本の古道が集まっています。
南を流れる東川河岸から武蔵野台地上へ、約10mの標高差を切通し坂で上った後、分岐しています。
新考案(笑)の「3D地図+明治初期の迅速測図」をご覧ください。
青の二重線が武蔵路、赤線が鎌倉街道上道、そして、赤の破線が上道の支道・堀兼道です。
武蔵路はさておき、極めて直線的な鎌倉街道上道と、緩やかに蛇行する堀兼道の姿にご注目下さい。
同じ鎌倉街道なのに、この違いは何故でしょうか?
まず上道は、道沿いに「古代の窯跡や廃寺、式内社等が分布し、郡家の所在も推定される」ため、元々は古代の地方道にあたる伝路であったと考えられています。(木本雅康 2011年『古代官道の歴史地理』)
伝路の形態は様々ですが、両側溝はないものの幅は6m前後で、駅路並みの直線性を持つものもありました。
一方、堀兼道は、武蔵路が廃絶後、ほぼそのルートに沿って新たに整備されたと考えられ、一部が武蔵路と重なるものの全体に蛇行を繰り返しています。
中世の道の特徴がよく表れています。
下の鎌倉街道要図で、赤丸で囲ったのが分岐点です。
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さて、武蔵路の痕跡はこのエリアには残っていませんが、その存在を端的に証明してくれるのが下の航空写真(1961年撮影)です。
地下の駅路遺構が、幅約12mのソイルマークとしてくっきりと地表に浮かび上がっています。両側溝の存在までが見て取れます。
側溝の部分が窪んでいるため、雨水が溜まって乾燥しにくく、周りに比べ草木が茂っているようです。怪奇現象ではありません(笑)。
駅路のソイルマークといえば、群馬県太田市の大東遺跡のケースが有名です。
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改めてトップの地図を見返すと、「実に面白い!」(ドラマ『ガリレオ』の湯川先生風に)。
古代の駅路・伝路、そして中世の街道が入り乱れた武蔵路エリアの面白さが、ようやく分かってきました。