全長350mで4位の規模を誇る造山古墳。
最大の弥生墳丘墓で、弧帯文石でも知られる楯築遺跡。
そして、古代山陽道と駅家比定地の矢部遺跡。
こんなにゴージャスなエリアはめったにありません!(笑)
今回は蘊蓄を省略して、さっそく歩いてみましょう。
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備中国分尼寺前の切通からしばらく進むと、見えてくるのが岡山市北区の造山古墳。
カシミール3Dで立体化するとこんな感じです。
大阪の大王墓なみの雄姿に触発されて、古墳時代の吉備を特集しましたね(笑)。
山陽道は周辺で緩やかに曲がりながら進みますが、これは古墳群の陪塚を避けるためだったようです。古代道路は絶対に古墳を破壊しません。
古墳地帯を過ぎると、また峠へ直進する元の姿を取り戻します。
峠を過ぎると、足守川氾濫原へ突き出した細長い丘陵を下っていきます。
右に見える丘陵が楯築遺跡です。前方後円墳の、ひいてはヤマト王権の誕生につながるこの墳丘墓のスゴさもレポートしましたね。
この先、やや南に下った倉敷市矢部に、津さき駅が比定されています。そこでイイものを見つけました! 駅家に使われていたとみられる瓦の破片です。
山陽道は、外交使節を迎えることに備え、他地域とは異なり、瓦葺の豪華な仕様となっていました。ですから、駅家の遺構確認が全国に先駆けて進んでいます。
この矢部遺跡も、かつては廃寺の跡と考えられてきました。
さらに進むと、左手の丘の上に神社が見えてきます。温羅と吉備津彦の伝説がある鯉喰神社です。
この“丘”ですが、実は、楯築遺跡と同じ、弥生墳丘墓です。弥生時代のこのエリアが、吉備の中心地であった証拠とされています。
今回歩いた道を、1961年の航空写真で振り返ってみましょう。
つづく