在宅探索の楽しみ

下野国の古代駅路 ③初期東山道は武蔵路と同一規格・同時整備か?!

県内最古の駅路遺構は北台遺跡

駅路遺構から作られた年代を推定するのは至難の業なのだそう。道路は使用中は改修し続けられますから、道路上には手掛かりが残りません。

ですから、側溝の中に堆積した火山噴出物のテフラ分析や、建物遺構との重複関係、土器片の編年などを手掛かりにして、「×世紀頃に機能していた」というようなボンヤリ表現となることが多いのです。

さて、下野国で最も古いとされている東山道遺構はどこでしょうか?

答えはこの地味~な「久保公園」(下野市小金井3丁目)に眠る北台遺跡です。

復元展示だと気付かれましたか? 下図の通り、側溝間心々距離12.3mの堂々たる前期駅路でした。

県内の東山道遺構で「史跡として保存整備されているのはここだけです」と、案内板もなんだか誇らしげです。(2017年11月撮影)

注目頂きたいのは整備された年代です。8C初め頃」つまり飛鳥時代末としています。

実は7C後半から8C初頭の土師器圷が出土していますから、もう少し遡るかもしれません。

道路構造と時代観が武蔵路と一致!

興味深いのは、側溝の構造が東山道武蔵路と共通する「土坑連結式」であること。長い土坑が数珠つなぎになって一本の溝をとなっています。

下の模式図は武蔵路のものです。側溝を横に切った場合と縦に切った場合が並べられていて、分かりやすいですね! 

西国分寺地区遺跡調査団 1999 『武蔵国分寺跡北方地区 日影山遺跡・東山道武蔵路』

北台遺跡も、凸凹の底面にロームブロックを埋め→黒褐色土層で均した上で→ロームブロック中心の褐色土で固め溝底を成形、となっておりほぼ同じ構造です。

次に、発掘当時の写真をご覧ください。まず北台遺跡から。おそらく完堀で、連結土坑の凸凹がのぞいています。

次に、武蔵路遺構のトップスター、東京都国分寺市の日影山遺跡をご覧ください。こちらも完堀全景です。

西国分寺地区遺跡調査団 1999 『武蔵国分寺跡北方地区 日影山遺跡・東山道武蔵路』

側溝心々間距離約12mで並行・直線という外形、側溝は最大で幅1m程度と前期駅路の中では比較的スリムなタイプ。壁面や肩にはほとんど崩れがありません。

西国分寺地区遺跡調査団 1999 『武蔵国分寺跡北方地区 日影山遺跡・東山道武蔵路』

武蔵路全体の整備年代については、埼玉県東の上遺跡での出土遺物から7C4Qと見られています。

時代観がほぼ一致しますから、北台遺跡が整備初期の東山道である可能性は高いと考えられています。

いさな

もしかしたら同じ技術者集団が関わったのかも?!🧐

県内の他遺構と一致しない時代観

一方、県内では他に約20か所もの遺構が確認済みですが、「将軍道」の厩久保遺跡が8C~、約1㎞もの長さで遺構が見つかった杉村遺跡は8C前半~と、いずれも奈良時代以降のイメージです。

上野修一 2023「栃木県大田原市小松原遺跡を中心として」『古代交通研究会第22回大会資料集』

上図で一直線に復元されている東山道ルートですが、年代観がバラバラなものが繋ぎ合わされているのが実情です。

となると、栃木県では駅路遺構の年代観の見直しが必要になっているのではないか?、と考える次第です。

いさな

特に国府域から西は、ほとんど発掘調査が進んでいません。遺構確認に偏りがあるのが現状です。

【決定版】下野国の「点と線」。国府域に東山道を追う ようこそ! 全国の古代道路ファンの皆様!!(いるのかな?・・・) 今回は一緒に、下野国で探索の旅をいたしましょう。 古代下野国で...

つづく

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