実は日立市では、歴史地理学的調査で東海道駅路が復元されています。痕跡地形が多く遺存していたためです。
JR常陸多賀駅の東南
エリアから南へ下ってみましょう。まずは、いつもの米軍航空写真をご覧下さい。
地点Aは、故・木下良先生が、「日立電鉄河原子駅の位置する幅200mほどの谷部の水田は条理状の方格地割が明瞭で、この道路状遺構は正しくこれに合致している」と指摘されています。(『古代を考える 古代道路』1996年) 。現在は住宅地となり痕跡はありません。
地点Bの帯状地割は、現在の3D地図でも明瞭です。
南端部に立って北のライン上を眺めた写真です。左の住宅が右より一段高い位置に建っているのがお分かり頂けると思います。
地点Cは築堤痕跡ですが、残念ながら今は残っていません。
地点D、Eの切り通し痕跡は明瞭です。
地点Dを北から南へ見たところはこんな感じ。草木に遮られて分かりにくいですが、確かに遺存しています。
地点Eはこの通り。
さらに南下してみましょう。
F地点の帯状の林を3D地図で見ると、切通し痕跡であることが分かります。
現在でもなんとなく切通しの雰囲気はありますね。
G地点は、県教委の調査で、切通しが確認できたというポイントなのですが、現地を歩いても濃い藪に阻まれどうにも判別できませんでした。
3D地図でご勘弁下さい。
蛇足ながらこの地形、以前取り上げた、那珂川左岸の田谷切通しと雰囲気が似てますね! 崩落に伴い何度か付け替えられた結果の姿なのかもしれません。
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さて、これまでのA~G地点はきれいに一直線に並んでおり、この延長ライン上に載ってくる直線地割がH地点です。
H地点の先にも直線地割は伸び、ドンピシャリでぶつかるのが、あの大甕神社東の帯状窪地です!
また、前振りが長すぎとお叱りを受けそうです(笑)。
でも、大甕神社東の帯状窪地と北東方向に伸びる東海道痕跡とがきれいにつながることは証明できたと思います。
改めて3D地図上に落とすと、東海道駅路がこのような緩いカーブで方向転換したことが想像されます。
次回は念のため、大甕神社から西方向についても検証してみましょう!