米軍航空写真に見える直線道痕跡を正確にトレースして歩くと、普通なら見逃してしまうようなその名残に気付くことがあります。土浦市北部を例に、ご紹介してみましょう。
最初に予習として、70年前の航空写真をご覧下さい。南北に伸びるラインがはっきりと見て取れると思います。
まずは、地点A。狭い坂道を下ると、何の変哲もない田圃に出ます。お気付きでしょうが、目の前のやや広い畦道が駅路の名残です。写真は振り返って撮影したもの。
地点Bには、アスファルトの現道が整備されていますが、左の路肩がやけに広く感じます。元々は駅路の敷き幅の内だったのかも。
地点Cから台地へ上ります。現道は右に折れますが、神立町と中貫の町界はそのまま伸びています。
地点Dから、北を向いたところ。70年前とあまり変わらない景色のようです。
地点Eは、低地へ下る切り通しがあったと思われるところ。振り返って坂上を見ると、緩い凹道のような地形が見えるような・・・。木下良氏の30年前の著作には、「掘割状の窪地となって明瞭な遺構を示している。地元ではこれを鎌倉街道の跡と言い伝えている」とされています。(「常陸国古代駅路に関する一考察」『國學院雑誌』1984年)
このように、意識して見れば、駅路の痕跡を見つけることは決して難しくありません。もっとも、70年前の航空写真にハッキリと映り込んでいるような、大きな凹道にはなかなか出会えませんが(笑)