直線性を重んじた駅路らしからぬS字クランクの存在が、前から気になっていました。旧版地図や立体地形図で下調べしましたが手がかりなし。ということで、いざ!現地踏査へ(笑)。
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今回のスタート地点、十王坂の登り口です。明治期には「陸前浜街道」と呼ばれていたという街道で、駅路をおおまかに踏襲している考えられています。
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間もなく、問題のクランクにぶつかります。崖を左に迂回し進むと、深い切通し状の地形に出ます。クルマ一台がようやく通れるほどの道幅。両脇の壁が切り立って迫り、なんだか中世道、近世道の佇まいです。
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違和感が募ります。ホリワリ探索で培ったカンに従い、切通し出口付近で、左側の土手に駆け上ってみました。すると、ありました! 廃道化したホリワリです。
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現地形を見ると、幅と深さから中世以降の道の痕跡のように見えます。かつては切通し出口でスムースに現道へ合流していたようですが、今は途中で崩落して中断しています。おや?城郭の堀切にも見えますね(苦笑)。
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十王坂入り口方向へ向けて、廃道跡を辿ってみました。かなり荒れていますが、緩やかな勾配で直線的に斜面を下っていきます。どうやら元々は数mの幅があったようです。
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藪が濃くなりギブアップ。廃道跡を外れて農道へ下りました。目の前がスタート地点の車道でした。古代駅路は、現在の十王坂ではなく、廃道跡の方を通っていたのではないか、との思いを強く持ちました。「駅路痕跡発見!」。心の中でガッツポーズを決めました。
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また、クランク部分を良く見ると、この道へ抜ける切通し状の地形があることに気付きます。現状では平坦でなく建物跡に見えますが、ある時期には道として機能していたのかもしれません。
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実はこの話、後日談があります。茨城県教育財団のHP「発掘情報いばらき」を見ていて、こんな地図を見つけてしまったのです。
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中道南(なかみちみなみ)遺跡の現地説明会(2013年9月)資料に掲載されています。
「発見」は、地元研究者の皆さんにとっては常識であったようです。ちょっとガックリですが、逆に言えばお墨付きをいただけたようなもの。凹道探索のスキルが向上した証しと、ポジティブに受け止めることにしました(笑)。
つづく