現地レポート

常陸国の古代駅路 ③笠間市長兎路―仁古田境界の五万堀古道遺構

伝承では、八幡太郎源義家が平安時代末「後三年の役」で、総勢五万の大軍を率いて通過したことから名付けられたとされています。

立体地形図(高さ3倍強調)では、土を削ったり盛ったりして勾配を平均化している様子がよく見て取れます。伝承が生まれるのも無理ない感じです。

次に、発掘調査前後の写真を比べてご覧下さい。

五万堀古道_調査前状況
五万堀古道_調査前状況
茨城県教育財団 2000年『総合流通センター整備事業地内埋蔵文化財調報告書  仲丸遺跡 久保塚群 五万堀古道 向原遺跡・向原塚群 前原塚 仲丸塚』
五万堀古道

折角の美しい凹道が台無しじゃんか!(ヨコハマ弁)、と嘆息しつつ、工事現場のようなバラス敷きの道を歩いてきました。

発掘調査報告書によると、長さ約300mにわたり、幅6-10m(側溝間芯々距離)の道路痕跡が検出されたそうです。奈良-平安時代まで駅路として使用された古代東海道で、その後も生活道路として使い続けられたと推定されています。

五万堀古道遠景_南西方から望む
五万堀古道遠景_南西方から望む
茨城県教育財団 2000年『総合流通センター整備事業地内埋蔵文化財調報告書  仲丸遺跡 久保塚群 五万堀古道 向原遺跡・向原塚群 前原塚 仲丸塚』
五万堀古道完堀全景

五万堀古道完堀全景
茨城県教育財団 2000年『総合流通センター整備事業地内埋蔵文化財調報告書  仲丸遺跡 久保塚群 五万堀古道 向原遺跡・向原塚群 前原塚 仲丸塚』

いやぁ、何度見てもこの幅と直線ぶりにはシビれます(笑)。こんな駅路を全国6,300kmに整備したとされる古代国家の力には、素直に驚きです。

ただ、ホリワリストとしては、この遺構の前後にある切通し状地形が気になります! 次回はいつもの立体地形図や空撮写真も使って現地レポートしますね。

つづく

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