備後国府と古代山陽道
駅路遺構の復元展示というと東京都国分寺市の東山道武蔵路跡が有名ですが、ここ広島県府中市でもユニークな取り組みをされています。
府中市はその名の通り、かつて備後国府が置かれていた場所。国庁の遺構は未確認ながら、発掘調査が広範囲にわたって続けられ、その成果から国史跡に指定されています。
そんな中、2016年に大きな発見がありました。山陽道駅路から国府へ向かう道の分岐点が確認されたのです。全国初の快挙でした!
といっても、古代史ファンならいざ知らず、一般の方には「?」となりそうなところ。どんな展示をされているのかな?と「はじまりの広場(鳥居地区)」を訪ねたところ・・・。
まず目に留まったのは冒頭の、なんとも洒落の効いた標識です。
左は大宰府、右は平城京・平安京、右に折れると国府(中心部)。駅路というものをご存じない方々でも、大宰府と宮都をつなぐ古代の国道一号線・山陽道の長大な姿が素直にイメージできるのではないでしょうか。
さりげなく、柳と桃(?)の街路樹が植えられているところも、古代の景観を意識したものでしょう。これまた玄人好みのシブい趣向です。
実際、側溝土中からはハシバミの花粉が見つかっているそう。ヘーゼルナッツに似た食べられる堅果がなるそうですよ。
さらに、案内板には分かりやすい復元イラスト。やっぱり絵がないと、なかなかピンと来ないんですよね!
発掘作業の様子まで写真で見ることができます。道路側溝は石張りで表現されています。お気付きでした?
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そして、実は市内西側にもう一か所、駅路が復元されている場所「であいの広場(横井地区)」があります。こちらも至れり尽くせりの案内板が設置されています。
石張りが側溝を表していますから、幅約10mという山陽道の威容を感じられる場所となっています。
復元イラストを見てまた感心。駅使が早馬を走らせているではありませんか! 情報通信インフラという駅路の機能をさりげなく描き込んでいます。
発掘現場は埋め戻してしまえば二度と見れませんから、遺跡の姿をイメージする上で写真は大いに助けになりますよね。
古代道路への”愛”を感じることの出来る復元展示を拝見して、ファンとしてなんだか嬉しい気分になりました。地元の皆様、今後ともよろしくお願いいたします!(笑)
駅家跡か?前原遺跡
最後にご紹介するのが、交通関連遺跡という点で注目される前原遺跡(同市父石町)です。国府域への西の入り口にあたる芦田川東岸の山裾に位置しています。
下の図は南西側から見たもの。青線はほぼ確定している国府域の山陽道ルートです。上でご案内したエリアが描かれています。
下は、東側から見た写真です。
前原遺跡の特徴は、
- 国府系瓦が出土
- 9.6m×21.6mの大型建物が出土
- 100m弱×80m弱の瓦葺築地塀(他の山陽道駅家と同規模)
などで、播磨国の類例を見ても、駅家跡の可能性が高いのは間違いありません。
そもそも、「前原(マエバラ)」という地名は「駅家原(ウマヤハラ)」が転訛したものでしょう。
付近の山陽道ルートが不明なため未確定という扱いのようですが、今後が楽しみな遺跡です。
終わり