大分県中津市の古社・薦神社のご神体である三角池(みすみいけ)は、浅い谷間を堤でふさいで作られた溜池です。西海道豊前・豊後連絡駅路の敷設と同時に、一体的に作られたと考えられています。大宰府の水城と同様、敷粗朶、版築といった古代では最新の土木技術が使われているそうです。
では、駅路はどこを通っていたのでしょうか? 堤に沿って伸びる参道が、駅路痕跡だという考え方もあるようです。
これで決まり!、と言いたくなる佇まいですが、この参道を通るためには、前後で二度転向する必要があるのが難点です。直線性を重んじる駅路が、山間部でもないのに小刻みに走行方向を変えることはありません。
新バイブル『地図でみる西日本の古代』では、このように書かれています。
実際に現地を歩いてみた上での想定ルートは地図の通りです。渡河地点で走行方向を微修正し、地形の制約と直線性の両立を図っていると見ています。条里方向とも矛盾がなく、現道の直線区間とも所々で重なりますから、かなり自信アリです(笑)。
そして、ダメ押しはこの5mメッシュ(標高)データ立体地図。この通り、駅路の痕跡?が見てとれます。なお、手前の切通しは台地上に用水路/車道を通す際に埋められたものと思われます。ここ、未探索なんです。現地に行かれた方はご一報を!(笑)
また地元研究者のお考えと違う結論になってしまったなぁ…、と思ったら、中津市さんのパンフレットにそのまんま載っていました(笑)。参道の一部が駅路と重なっている、または、中世の勅使街道は参道を通っていた、と理解すればよいようです。マニアックなことを言ってすみませんでした。m(_ _)m