在宅探索の楽しみ

播磨国駅路を仮想探索! ⑤条理余剰帯で解ける? 国府周辺の想定ルート

土地区画に残る碁盤目状の条理痕跡を丹念にトレースしていくと、幅20mほどの長細い地割が浮き上がってきます。これが条理余剰帯で、古代駅路の敷地の痕跡です。姫路城の城下町というイメージの播州平野ですが、国府が置かれていた古代播磨国の中心地で、数十年前までは条理痕跡がよく残っていました。

これまでのところ駅家・駅路の遺構は確認されていませんが、古くから条理余剰帯などを手がかりにルートの推定が行われてきました。代表的なものを立体微地形図に落とすと、トップのようになります。

見かけほど複雑ではありません(笑)。青い実線が、定説とされているルートです。草上(くさかみ)駅については、比定地①の今宿丁田遺跡で国府系瓦が多数出土していることから、地元研究者の皆さんの間では最有力とされているようです。

姫路地名付き

一方で、バイブル『地図でみる西日本の古代』では、比定地②の大町遺跡周辺としています。国府と一体であることと、美作(みまさか)国へ向かう支路・美作路(緑の実線)への分岐点に位置することがポイントです。

中村太一氏(北海道教育大)はかつて、美作路こそが初期駅路であり、比定地③の小字草上寺が初期の駅家であったとされていました。その後、青の実線へ駅路が付け替えられ、駅家も名称を変えずに比定地②へ移転、瓦葺となったともお考えでした(1990年 「山陽道美作支道の復元的研究」『歴史地理学 150』より)。

その後も、比定地①を駅家の立地として「魅力的」とされながらも、比定地②が国府と駅家の複合施設ではないかと見られています。下図をご参照下さい。(2000年 『日本の古代道路を探す』

草上駅家付近の駅路
草上駅家付近の駅路
中村太一 2000年『日本の古代道路を探す』

ご参考に申し上げると、私は、時代変遷があって、すべての説が正しいのではないかと思っています。①プレ駅路から直線的な計画道路への変化、②8世紀半ばの国分寺建立とルート付け替え、③一つ東の佐突駅の廃止・復活・・・などの要素が影響しているのではないでしょうか?

ということで、結局のところ、発掘調査で遺構が確認されるまで、議論に決着はつきそうもありません。

それはさておき、姫路市東部、市川左岸の条理は、駅路を基準とした区割の正確さに驚かされます。余剰帯も明確で、国分寺の建立前後での駅路の付け替えまで追うことができます。1974年航空写真の上に地割線を一本一本引いてみました。

播磨国分寺周辺
佐突駅から西の条里余剰帯_1974年航空写真

この超マニアックな作業「条理パズル」に、この一週間ほどはまっていました。お蔭様で、『地図でみる西日本の古代』の想定ルートと同じ結論に、独力でもたどり着けることを確認できました。今後の凹道探索の役に立つかも?(笑)

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