山を動かした、足跡が池になった、といった巨人伝説が日本各地に残っています。呼び方は様々ですが、東日本では「ダイダラボッチ」と言えばご存知ですよね? この伝説と古代駅路に関連性があるのではないか、との説があります。
先日、水戸市塩崎町の「大串貝塚ふれあい公園」を訪れ、伝説地であることを知りました。平津駅家へ繋がる推定伝路を歩きに行って、偶然たどり着きました。わたしの凹道探索はいつもこんな感じです(苦笑)。
伝説は、奈良時代に編さんされた『常陸国風土記』にも記載されています。(※参考資料ご参照)。文献に記されたものとしては“世界最古の貝塚”ということになるそうです。下は、公園内施設の展示です。
駅路と巨人伝説を結びつける説は、「凹道のマエストロ」こと木下良氏やお弟子さんにあたる木本雅康氏(長崎外語大)が唱えられています。
木下氏は、「古代の大規模な道路工事の跡や迅速な通信・連絡のあり方が、巨人の営みになぞらえられたのであろう」(2013年『日本古代道路の復元的研究』)と述べられています。
既にレポートしましたが、平津駅家は蝦夷征討の補給線を担う重要な港津だったと考えられており、駅路支路や伝路で東海道駅路と接続されていました。
なお、水戸市西部にも大足(おおだら)という地名があり、大神駅を経由して下野国との連絡路が通っていたと推定されています。想像を掻き立てますよね。といいますか、歩いてみたい!(笑)
◎参考資料
『常陸国風土記』
「平津の駅家の西一二里に岡あり。名を大櫛という。上古人あり。体は極めて長大く、身は丘壟の上に居ながら、手は海浜の蜃を摎りぬ。その食らいし貝、積聚りて岡と成き、時の人大朽の義を取りて、今は大櫛の岡という。その践みし跡は、長さ四十余歩なり。尿の穴の径は、二十余歩許りなり」(茨城県「常陸国風土記1300年記念事業」HPより)