下野から常陸の国府への駅路想定ルートを歩いてきました。東山道と東海道をつなぐ、風土記にだけ見える幻の駅路です。大神駅比定地から常陸国府まで約30km。いやぁ、キツかった~(笑)。自分で自分をほめてあげたいです!
常陸国がかつて東山道に属していたとの説もあり、そうであれば駅路本路であったことになります。下の地形図で赤線になります。
では、一気呵成に、北から南へ、道路痕跡をご紹介いたします。まずは、大神駅比定地です。具体的な場所については諸説あるのですが、周辺で須恵器の破片を表採しました。この辺のどこかで間違いないでしょう。
JR水戸線を越えて南下します。これは道路脇の細長い地割。現道とこの畑までが道路敷地だったと思われます。
次は板敷峠。なんだか中世から近世の峠路にみえますが・・・。
まぁ、駅路といっても、山間部の峠越えではこんなもんです(笑)
あ、そうそう。途中で山伏弁円護摩壇跡、という史跡があります。小高い丘の頂上で、なんだか九州で見た烽火台に似ていますね。
次はこの先、丘陵に上る坂道。痕跡地形なのか不明ですが、雰囲気はあります。
更に進むと、現道の横にこんな細長い地割が。地元の方も使いにくいようですね。
明治初めの迅速測図でも、細長い地割が描かれています。また、帯状窪地になっている竹林もありましたが、写真ではただの藪にしか見えませんでした。
常磐自動車道にぶつかるあたりは、武器工房跡とされる鹿の子遺跡です。蝦夷戦争との関連が推測されています。
もうヘロヘロになった頃、国分尼寺跡に到着。
今回は、決定的な痕跡は見つけられませんでしたが、情況証拠からすると駅路が走っていたのだろうな、と感じました。