今回は杉沢遺跡等を一緒に歩いてみましょう! 他地域では断片的にしか残っていないような立派な痕跡地形が次々と登場します。 断言します! ここは”日本一の古代道路テーマパーク”であります!(笑)
まずは下図で、遺跡群と山陰道の位置関係を復習下さい。
(※以下、写真・図は断りのないもは全て、出雲市教育委員会「出雲市の文化財報告33 出雲国古代山陰道発掘調査報告書 出雲市 三井Ⅱ・杉沢・長原遺跡の調査」2017年より)
では、東端部の堀切古墳群からスタートしましょう。谷から尾根へと山腹を登ります。途中はV字浸食が進み、普通の生活道路に見えます。
中腹まで来ると、痕跡地形らしき帯状窪地に気付きます。残念ながら歩行困難で、生活道の通る尾根を歩きます。
尾根を進み三井Ⅱ遺跡へ入りました。すると、発掘現場にバッタリ。この辺は幅10m前後の造成された平坦面があるところ。気になる溝がありますが、これって側溝跡?!
この後、市道杉沢線で中断後、登り直して再び西に向かうと・・・。右奥に幅約20mの切通しが見えてきましたよ!
この先、調査報告書に掲載の調査前写真だとこうなのですが・・・
現在はこうでして・・・
草木に覆われていて地形が分かりにくいので、50mほどショートカットしたところが、下の写真です。
東側を振り返ってみると、この通り。大規模な造成が行われた切通しであることがよくお分かり頂けると思います。
ただし、切通しすべてが道路という訳ではなく、下図のようにかなり高い位置に幅9mの路面が存在したと考えられています。
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これより先は前回ご紹介した有名スポット・杉沢遺跡2013調査区。今回は100mほどスキップして、杉沢遺跡1トレンチ周辺へと進みましょう。
写真は西から東へと振り返ったところ。足元の土嚢がトレンチを埋め立てた跡です。斜面の中腹に幅約5mのテラス状の平坦面があります。
山側斜面を削りその土で谷川斜面へ盛土して道路基盤を造成する、という切土・盛土工法が用いられています。(下図ご参照)
現存している平坦面の盛土の下幅は10mを超えると推定されており、やはり9mの駅路幅を十分に確保できたと考えられています。
付近でこの工法をとったと推定される部分は約50m。計算上では、切土・盛土はそれぞれ600~800㎥と推計され、合計で10tトラック120~160台分の土量となるそうです。(調査報告書より)
さてさて、この工法、どこかでご覧になったことありますよね?(笑) 以前ご紹介した中国の秦直道とそっくりなんです。
時代も規模も異なりますが、大陸から伝わった土木工法であるという証拠の一つなのかもしれませんね。
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さらに西にあるのが、またもや巨大な切通しです。この長原遺跡1トレンチ周辺では、高さ6m、上幅30m、長さ100mにわたっています。掘削された土量は約1,500㎥と推計されるそう。先ほどのトラックで300台くらいですね。
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この長原2トレンチの東側は樹木が伐採され、平坦面がよく分かります。調査では、地山を水平に削平した上で、きめ細かい砂質土を層状に締め固めているそうです。
駅路を丘陵尾根上に通すために投下された土木量の大きさには驚かされるばかりです。
新羅との緊張関係という時代背景が作り出した特殊なケースと考えるべきなのか、それとも他地域の駅路でも同様の構造が選ばれることがあったのか、興味は尽きません。
西側延長線上にも切通し
古代山陰道の西側延長線上にあたる出雲市上塩谷町の丘陵上にも、痕跡地形とみられる切通しがあります。下図の塩谷神社の南です。故・木本雅康さんが指摘された場所だそう。
幅6mの平坦面が40mにわたって畑地などとして残っています。