3D地図のおかげで、微地形を事前にチェックすることが出来るようになりましたが、それでも百聞は一見にしかず、という部分は残ります。お待たせしました! これが、龍角寺切通しです。
広い底幅、緩やかな勾配、そして、直進性と、どれをとっても古代官道の佇まいです。砂利道として舗装されているが玉に瑕ですが、先に進みましょう。
小支谷内は土橋で渡っています。下の写真は東側から俯瞰で撮ったもの。右手前に伸びていたはずの谷頭部は、開発により埋め立てられて跡形もありません。
土橋の先でやや屈曲した上り坂となり、再び台地に上がります。左右の壁の勾配が異なるのは、後世の工事の結果と考えられます。
土橋が湾曲し、小支谷内で道が転向していますが、3D地図を見るとその理由が推測できます。
どうやら右手側に前方後円墳?があり、その辺縁を巻きながら上る構造となっていたようです。以前取り上げた上神主・茂原官衙遺跡のように、元々あった周濠を利用したのかもしれません。
この古墳は現在では完全に隠滅していますが、千葉県の「ふさの国 文化財ナビゲーション」にはかつて円墳(※中央)があったことが記載されています。
なお、小支谷手前で切通しの幅が広がりますが、一方の壁面が切り立ち崩落が続いていることから、近年の工事の結果だと想像されます。県立「房総の村」の開発時にトラックの出入り口として使われたのでしょうか。
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前回の“さまよえる切通し”問題のダメ押しになる地形も見つけました。
道路脇に直径数メートルの円形の盛土が無数に存在しています。フェンスの反対側、「房総の村」内から撮影するとこんな感じです。
龍角寺旧参道であったことから、中世・近世に作られた塚群だそうです。ということは、少なくとも近世以降、切通しが位置を変えていないことの決定的な証拠となります。
実踏の大切さを改めて学んだ探索行でした。
なお、Googleマップのストリートビューで、凹道探索を疑似体験頂けますよ。