印旛郡栄町の龍角寺は、出土瓦などから7世紀後半の飛鳥時代に創建されたと考えられており、東日本屈指の古刹です。
その旧参道に、不思議な切通しがあります。地図の年代によって位置が大きく変わっているのです。タクラマカン砂漠のさまよえる湖・ロプノールにちなんで、“さまよえる切通し”と名付けました(笑)。
まずは、トップの3D地図をご覧下さい。
小支谷を直線的に横断するために、切通し→土橋→切通しと工事が施されています。勘の鋭い読者はお気付きでしょう。典型的な古代駅路の痕跡地形です。
◆
奈良時代の東海道駅路は周辺を北上し、香取内海を渡って常陸国へ入ったとされていますが、道路遺構の発掘事例はなく、具体的なルートについては議論が続いています。下図は木下良氏の推定。
いつものバイブル『地図でみる東日本の古代』も、破線がアバウトに引かれているだけ。凹道探索は無理かと半ば諦めながら、古街道研究家・宮田太郎氏の説をkashmir3Dでチェックしたところ、あっさりと冒頭の切通しを見つけました。
問題はここから先です。
3D地図で見える道筋を青線でトレースし、最新の国土地理院地図と重ねたところ、位置が大きく食い違っています。3D地図のベースとなる航空レーザー測量が実施された前後に、道の付け替えがあったのでしょうか?
次に、明治初めの迅速測図に重ねたところ、これも食い違いがあります。
地図だけを見れば、明治以降に何度も付け替えがあったことになります。まさに、“さまよえる切通し”です。
こういうときは、航空写真の出番です。
開発が始まる前の原地形が分かる1947年の米軍航空写真に重ねてみました。すると、今度はピタリ一致しました。その後の各年代の写真でも位置に変化はありませんでした。
◆
結論としては、どうやら、測量・作図上の問題で誤差が出ただけのようです。地図作成者のミスを誘う何かが、ここにあるのでしょうか?(笑)
こうして、少なくとも明治初めには存在した古道と分かりましたので、改めて「龍角寺切通し」と名付け、実踏に出かけました。次回、レポートいたします。
つづく