在宅探索の楽しみ

豊前国の古代駅路 ③古代の設計者に、Good job!

毎度、おバカな見出しですみません。でも、この気持ち、立体微地形図をご覧になれば、皆さんにもご理解頂けるのでは? 福岡県上毛町から大分県中津市にかけた駅路を南から俯瞰したものです。これに土曜の午前中を費やしました(笑)

八坂神社から3km

どこが、Good Job!か、解説しますと、

①八坂神社がある段丘突端と宇佐神宮を最短距離で結ぶ直線プラン(黄緑線)に配慮しつつ、

②山国川の渡河では、旧河道を前提に現実的なポイントを選んで屈曲し、

③可能な限りの広さの口分田を確保するため、条里地割(赤線)の基準線として最適なルートを進んでいる、

ということです。

つまりは、駅路に求められる機能を、実にバランスよく実現している訳です。古代の設計者(もしかしたら渡来人でしょうか)と、酒を酌み交わしたい気分です(笑)。

平面図と1974年航空写真でみるとこんな感じになります。

推定「宇佐路」山国川周辺ルート概念図
推定「宇佐路」山国川周辺ルート概念図
大分県教育委員会 1991年『宇佐大路 -宇佐への道調査-』
吉野ケ里_鳥の隈遺跡と条里地割(1974年航空写真)

さて、では各ポイントにつきご説明いたしましょう!

まずは、上毛(こうげ)町の大ノ瀬(だいのせ)官衙遺跡周辺から。上毛郡家政庁跡はGoogleマップの通り、正殿はじめ建物群の位置がきちんと地面にマークされていて助かります。国指定史跡です。

一隅に置かれている模型と、向こうに見える道の駅の施設の間が、駅路想定ルートです。政庁の向きが駅路と一致しているところがポイントです。

少し東に進むと、大ノ瀬大池の横を通過しますが、立体微地形図を見ると、どうやら築堤して横断しているようです。この先の新池(幸子池)は、江戸後期に開拓された池の名称である場合が多く、中世以前には存在しなかったと考えられています。なお、周辺に「八ツ並」という地名がありますが、官衙遺跡で見られることが多く、倉庫群を指す「屋並(やなみ)」から転訛したのではないかとされています。

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さらに進み、垂水廃寺の脇を通り、渡河地点へ向かいます。2町の寺域を持ち、出土した古瓦などから、8世紀初頭の創建と考えられているそうです。想定ルート付近には駅路の影響と見られる、微笑ましい地割が見られます。

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ちょっと面白いのが、上毛郡家のすぐ上にある「烽(とぶひ)?」跡です。大宰府シリーズの大野城でご説明しましたが、有事の際の情報伝達手段である狼煙台のことです。この雄熊山は平野に独立した小丘陵で、木下良氏が『日本古代道路の復元的研究』で想定地とされています。興味深いことに、江戸時代(19C初め)に長崎での変事を伝えるために烽火台の一つが作られており、遺構が残っています。再利用されたということでしょうか。

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なお、2011年に開かれた「古代山城サミット」では実際に、太宰府から熊本県鞠智城まで100kmを烽火でリレーすることに成功されています。木本雅康氏(長崎外語大)がコメンテーターで参加されていました。

さて、山国川を渡り、中津市に入る前に注目頂きたいのが、写真のもっこりとした段丘の突端部です。立体微地形図などでご覧の通り、駅路は明らかにここを目標に設計されています。なお、段丘上には八坂神社があり、弥生時代中期の環濠集落が見つかっています。

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山国川右岸の中津市高瀬には下毛駅が比定されていますが、残念ながら全く痕跡を見つけられませんでした。ただし、近くの高台に海神社があり、由緒不詳ながら渡河の目標になっていた可能性があるともされています。

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今回はここまで。次回は中津市の「古代ゾーン」をご紹介します。

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