在宅探索の楽しみ

因幡国の古代道路 ①国府域の駅路はどこに?:鳥取平野の条理地割を読み解く【上】

鳥取平野の因幡国府域では山陰道遺構は未発見で、具体的なルートについて諸説あって結論が出ていないようです。

となれば、ルート復元にチャレンジせずにはいられないのが、このブログです(笑)。今回はこの超マニアックな作業にお付き合い下さい。

※このブログでは「国府域」とは、国庁と周辺官衙を中心に国分寺・尼寺を含む広い範囲を指します。

まず、周辺国を含む官道ネットワークは、おおよそ下図の通りのイメージと考えられています。

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木下良「辞典日本古代の道と駅」2009年より
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では焦点の国府域について、おなじみのバイブル「地図でみる西日本の古代」で見てみましょう。

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島方洸一 企画・編集統括『地図でみる西日本の古代 律令制下の陸海交通・条里・史跡』平凡社 2009年

一方で、県埋蔵文化財センターさんが先日開かれた企画展「因幡の国府・国分寺・官道」のパンフレットでは、下図中央の黒点線を推定ルートとされていました。

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双方共、国府域を山陰道が東西に横断していた、ということでは一致しています。違いは、国庁西の独立丘陵「大路山(おおろやま)」の南北どちらを通過したと考えるかです。

下図は、故・木下良先生の「辞典日本古代の道と駅」(2009年)に掲載されていた地割図です。
「日本古代道路の復原的研究」(2015年)で詳しい説明がありましたが、図を描かれた戸祭氏はまさに県埋蔵文化財センターさんのようなルートをお考えだったようです。

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ということで以下、両説を踏まえ、本ブログとしての仮説を立ててみたいと思います。手掛かりは三つ。条理地割と旧版地図、微地形地図です。

国府域にはかつて、碁盤目状の条理地割が明瞭に残っていました。おなじみ米軍航空写真をご覧ください。右端の集落が国分寺跡の微高地です。

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これならば地割線を丹念に復元すれば、駅路の道路敷も自然と浮かび上がるだろうということで、1974年の航空写真をベースに、Kashmir3D上で作業してみました。

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結果分かったのは、単一系統の地割が広がっているのではなく、エリアによって異なる系統が混在し、不整合な部分が存在することです。

鳥取平野を流れる千代川は改修以前は大変な暴れ川だったそう。氾濫によって地形が撹乱された場合、再測量により条理線を引き直し、灌漑工事もやり直しとなったことが想像されます。

この不整合部分の代表的なのが、上図中央右の丘陵北端。米軍航空写真でアップすると、上段と下段の異なる系統の方格に挟まれて、縦が狭い長方形の地割が出来てますよね。

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この不整合は何を意味しているのでしょうか? 詳細に検討するために、不整合の中心と見える大路山南端を原点に、四つの象限毎に検証してみましょう。

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時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成
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以下、次回。

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