今から2,200年前、秦の始皇帝は中国史上最初の統一王朝を打ち立てました。その陵墓が世界でもトップクラスの規模を誇る「秦始皇帝陵」です。
近年、その北に走る南北道が発掘確認されました。まずは、陵墓から北約300mの痕跡地形をご覧下さい。
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魚池という池が広がっていた窪地を挟んで、幅13~15mほどの直線的な地割が伸びているのがご覧になれると思います。
我が国の官道遺構でもよく見られる地形ですね。
ところが、発掘調査で見つかったのは、想像を絶する規模の道路遺構でした。下図の魚池の辺りの縦線がそれです。(NHKなど『特別展始皇帝と大兵馬俑』2015年)
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実に幅66mにも達する巨大道路であり、路面は打ち固められ、車の轍の跡が残っていました。(BBC ”China’s Megatomb Revealed” 2017)
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そして、驚くなかれ、始皇帝が中国統一後、全国的に整備させたという道路網「馳道」と同じ幅でした。同一規格ということです。(下図は、鈴木靖民・荒井秀樹編『古代東アジアの道路と交通』2011年)
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この南北道路は、麗邑という陵墓に関連する街を結んでいたともされています。
ただ陵墓は下図で示された王都・咸陽の東方に位置しますから、さらに馳道と接続していた可能性は高いと考えます。(図は、鶴間和幸『始皇帝陵と兵馬俑』2004年)
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本ブログでは馳道の一部である直道を取り上げたことがあります。Google Earth画像でオルドス市近郊の痕跡地形をバーチャル探索しました。
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今回、平野部で馳道の支道の痕跡を見つけることが出来ました。もっと方法論を磨けば、横浜に居ながらにして馳道を探索できる日がくるかもしれませんね!
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さて、ついでに少し凹道探索をしてみましょう!(笑)。下のGoogle Earth画像(2003年4月現在)をご覧下さい。
陵墓を二重に囲んだ城壁の外側北門から水色線が伸びていますが、これが南北道路です。そして、北門から北東方向に走る斜行道の痕跡が見えますね。
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アップにするとこの通り。
幅13m前後で、周囲より約2mほど低い掘割状地形となっているようです。(BBC ”China’s Megatomb Revealed” 2017)
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これは古代道路の痕跡発見か?!、と勇んで1960年代のCORONA画像(米国偵察衛星写真、学習院大学東京文化研究所など『宇宙と地下からのメッセージ』2013年)を確認したところ・・・。
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やはり道路でありました。北門と魚池を繋いでいたようで、もしかしたら運河のように水を引き込み船着き場としていたのかもしれませんね。
ただし、50年前の写真を見ると、周辺は斜行道路だらけです。これでは秦代にまで遡れるかなんともいえません。でも、楽しいバーチャル探索でした!
Special Thanks to Dr.Albert Lin!
アルバート リンさん 我らと同じことやってる方が海外にもおられたんですねえ。道太郎
インディージョーンズ風でカッコいい方ですよ(笑)