ここはJR土山駅近くのとある路地。何の変哲もない商店街の一角にありますが、実は、地元では知られた駅路の痕跡です。Googleストリートビューで、現地の雰囲気をお楽しみ下さい。
路地と駅路のギャップに、俄かには信じがたい感じですよね(笑)。でも、間違いありません。加古川市と播磨町の行政界にあたる直線道痕跡で、東に1kmほど伸ばした先にあるのが、かの有名な“日本最大の駅家”賀古駅。加古川市野口町の古大内遺跡です。
馬ケ池(うまやがいけ)の南辺に沿って駅路が走り、賀古駅跡の方形区画へ枝道が伸びているのが、発掘調査によって明らかになっています。Googleマップで見ても、大まかに窺えるほど明瞭な地割が残っています。(「かこがわ探求記」賀古駅家発掘ものがたり14〈賀古駅家の出入口〉より)
10世紀編纂の『延喜式』によれば当時、駅馬40疋が配されていた“日本最大の駅家”でした。参考に、相模国では足柄峠をひかえた坂下駅でも駅馬22疋。方形区画は80m×80mあり、築地塀が巡らされた中心部・駅館院(やっかんいん)だったと考えられています。大歳神社境内には礎石が散在し、八脚門の門礎石である唐居敷(からいじき)も残っているそうです。
ところで皆さん、NHKが2009年に放送した番組「古代史スペシャル 古代日本のハイウェー1300年前の“列島改造”」をご覧になったことありますか? 古代駅路を取り上げた奇特な番組で、この中で発掘調査中の様子が紹介されています。NHKオンデマンドで視聴できます。。お勧めです!
最後に、付近にある池を横切る土塁状の痕跡をご紹介します。中世・近世の街道なら迂回しているところでしょうが、あくまで直進する姿にシビレます。
まずは、明石市二見町福里の稗沢池です。中央を横断する土塁が痕跡地形です。東側では発掘調査で、側溝を持つ最大12m、最小6mの幅の遺構が見つかっています。道路幅が変遷していることが伺えます。
次に、播磨町の城池です。かつては稗沢池と同様に土塁が横断していましたが、現在では北側が埋め立てられています。1974年の航空写真でご覧下さい。
本日ご紹介したエリアを立体微地形図に落とすとこのようになります。