1995年のこと、「県内初の東山道遺構確認!」と騒がれたのが大道上(おおみちうえ)遺跡でした。地元で「春日街道」と呼ぶ直線古道に沿って、側溝と硬化路面と見られる遺構が見つかりました。
下図で、深澤駅とある辺りです。
当時、発掘現場をご案内頂くチャンスがあり、初めて古代道路の存在とwide&straightな姿を知りました。
(なお、写真で側溝が途切れた部分では、水路が十字に横断しています。側溝内へ水が流れ込まないように作られているそうです。)
そしてなにより、古代道路が渡河点において切通しを作り、痕跡地形が現在まで残るケースがあることを知りました。遺構の北側延長線上にある深沢川へ下りる切通しがまさにそうです。お察しの通り、これが凹道探索第一号でした(笑)。
周辺の地形はこの通りです。なお、深沢駅比定地は、バイブル『地図でみる東日本の古代』を参考にしています。
伊那谷の段丘を中央アルプスから流れ下る河川が深く侵食し、田切地形と呼ばれる景観を生み出しています。
谷を南北に縦断する際にはこの地形が障害となります。古代においては、大規模な土木工事で切通し道を作り谷を渡っていました。
主要部分を1948年の米軍航空写真(国土地理院サイトより)で見ると、現在のように埋没が進む前の切通しの姿がよく分かります。
さらに、古い公図や推定復元図で見るとこの通り(県文化財保護協会 2005『信濃の東山道』より)。底幅が3.5mありますから、現在の車道の一車線よりやや広い位。これぞ駅路です! 春日街道は近世初期の軍用道路で、平地でも幅約2mだったそうです。
ダメ押しに、小字集成図をご覧ください。(木下良 2013『日本古代道路の復元的研究』より。原図 黒坂周平)。「大道」や「古大通り」、「立石」、そして極め付けは「山道(せんどう)」。なんとゴージャスな地名痕跡でしょうか。
なんだか説明が長くなってしまいましたが、ご容赦ください。なんといっても“初恋の凹道”なんですから!(笑)