首都の玄関口・東京駅丸の内中央口から皇居に向け広い道が伸びています。皇室行事で使われる道であることから、「行幸通り」と呼ばれています。関東大震災後の復興事業として、首都を代表する道として作られた歴史があります。道幅は実に73m。奇しくも、平城京の朱雀大路(約75m)とほぼ同じ広さでした。
行幸通りはわずか全長190mですが、朱雀大路は都城の正門「羅城門」まで約3.7km続いています。トリビアですが、東京国際空港の滑走路4本はいずれも幅60mで長さは2.5kmまたは3kmです。つまり、計算上はジェット旅客機さえ離発着できる広さを持っていました。
高速道路三車線分(@3.5m×3)の広さをを持つ奈良時代の駅路もそうですが、古代景観のスケール感にはいつも圧倒されます。
では、その大路の痕跡を探してみましょう!
平城京跡については、発掘調査の結果などから、南北中央に朱雀大路を配し、東西に碁盤目状の区画を並べた条坊制と呼ばれる都市計画が明らかになっています。下図は奈良県遺跡地図webに加筆したものです。
朱雀大路の想定ラインをGoogleマップに落としてみましょう。ご覧いただいた通り、80m弱の幅の帯状地割が明確に残っています。
羅城門の北側については、1960年代の航空写真で見ると分かりやすいようです。
今年の秋にでも現地を歩いてみようと思いますが、痕跡の幅が広すぎ、普通の畑にしか見えないかもしれません。
つづく