在宅探索の楽しみ

大和国の古代道路を仮想探索! ①奈良盆地に眠る駅路以前の直線道路

奈良盆地を覆う碁盤目状の土地区割が、古代の都市計画の名残であることは広く知られています。

計画の基準線となったのが、南北に走る大和三道(上ツ道、中ツ道、下ツ道)や、東西に走る横大路といった、東西南北に方位をそろえた正方位計画道路です。

その建設は、「王権が、より中国的な計画道路体系に意義を見出したもの」であり、「日本古代国家が進めた各種地域計画のスタートラインとなった」(中村太一、2000年『日本の古代道路を探す』)とされています。

つまり、古代駅路の原型はここにあるということですね!(笑)

ただし、建設の時期については、諸説あるようです。

『日本書紀』では、大海皇子と大友皇子が天智天皇の後継の座を争った「壬申の乱」(672年)の記事中、戦闘のあった場所として大和三道が見えます。

また、推古21年(613年)に「難波より京に至るまでに大道(おおじ)を置く」という記事も見え、横大路に当て考えるのが通説です。因みに、沿線自治体では「日本最古の官道が整備されてから1400年」ということで、様々なイベントを催されています。

さらに、持統8年(694年)に遷都した「藤原京」では、下ツ道や中ツ道、横大路が基軸線となっていて、都城の建設以前から道が存在したのは確かです。

藤原京復元図
篠川賢 2013年『日本古代の歴史2 飛鳥と古代国家』

結局のところ、正方位計画直線道路として整備されたのはいつか?、という問いへの答えは明確になっていません。

個人的には、「蘇我馬子が渡来人の技術を用いて計画・設計したものであり、物資の運搬や土地を区画すること、そして何よりも日本の中心地にふさわしい景観を整えるために、構築した」(近江俊秀 2013年『古代道路の謎』)という説が魅力的に感じます。

つづく

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