トップの航空写真は、田原本町を1961年に撮影したものです。古代道路3本の痕跡がくっきりと写しだされています。なお、右端を南北に流れる寺川は、下ツ道の敷地を利用して流路が付け替えられたと考えられています。
斜めの道のうち、下ツ道と交差しているのが「保津・坂手道」、北北西から南南東方向へ走るのが「筋違道」と呼ばれる古代道路です。双方とも発掘調査で、側溝を持つ道路遺構が見つかっています。
注目頂きたいのはその幅です。
まず、保津・坂手道については、14.5m→10.5m→9mと変遷しますが、いずれにしても駅路並みのサイズですね。現代の高速道路1車線は3mです。
さらに驚かされるのは筋違道。少なくとも17.5m、最大で24mと推定されています。駅路の1・5倍から2倍のサイズとなります。
大和三道や横大路など定規で引いたような正方位直線道路(紫線)が、盆地内の土地区割りの基準線になっていることはご説明した通りです。これに対して二道は、折れ線グラフ的な姿ながら一定の直線性を持つことから、斜方位直線道路と呼ばれています。
そして、後者は前者への発展途上にある道、とみられていましたが、いつの間にか定説は覆っていたようです。
つづく