奈良盆地を南北に貫く古代道路「大和三道」。全国に張り巡らされた七道駅路の原型ともいえるこの道は、当ブログにとっていわば聖地です。今回の旅を締めくくるべく、駆け足で横断してきました。
まずは、夜明け前の清々しい空気の中、日本最古ともいわれる大神(おおみわ)神社を参拝しました。ご神体を収める本殿がなく、大物主大神が鎮まる三輪山を遥拝するスタイルは、古い神道の姿を残しているものとされます。
白い息を吐きながら境内を歩いていると、まだ早いというのに、柏手の音が聞こえてきます。参道を横切る地元の皆さんは必ず一礼していかれます。毎日通勤電車に揺られていると、こんな場所があることを忘れてしまいます。
さて、今では素麺の生産地として知られる三輪山西麓ですが、飛鳥に宮都が遷るまで、大和王権の中心地だったと考えられています。古墳時代前期にかけての集落遺跡である巻向(まきむく)遺跡を、「王都」とみる説もあります。そして、“始まりの前方後円墳”として知られ、卑弥呼の墓とも言われる箸墓(はしはか)古墳もあります。
三輪山を背に横たわる墳長278mの巨大な姿に圧倒されます。県立橿原考古学研究所が近年に発表したレーザー測量による3D画像で、樹木を取り除いた真の姿をご覧下さい。
古代史の謎も興味深いのですが、私が見たかったのはやはり“道”です。よく知られていることですが、大和三道の上ツ道が、箸墓古墳の後円部にぶつかっているのです。
上ツ道を北上していくと、小山のような古墳が前方に見えてきます。
いよいよ古墳に突き当たります。後円部のカーブに沿って、迂回しつつ進むその姿に感動! 何がそんなに面白いの?、という声が聞こえてきそうですね。
方位と直線性にこだわって設計された幹線道路ですから、こんなカーブは本来、望まざるもののはずです。まして、僅かに50m程度東にずらせば古墳をクリアできたはずです。なぜそうしなかったのか?
実は三道は、当時の単位でぴったり1,000歩(2,118m)間隔で敷設されています。カーブの存在は逆説的に高度な計画性を証明しているわけです。