茨城県日立市大みか町の大甕神社東方で、古代東海道が走行方向を大きく転じていることは、専門家の一致するところです。
バイブル『地図でみる東日本の古代』でも下図の通りです。神社脇で陸前浜街道と分かれて直進しています。
既報の通り、本ブログは現地踏査の結果、緩くカーブした帯状窪地が駅路痕跡であると推定しています。
地図上に落とすと下図の通りです。
なんだかやたらと幾何学的な曲線に見えませんか?(笑)
それもそのはず、神社東の帯状窪地や地割を辿ると、こんな真円の円周上に並んでいたのです!
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さらに驚くべきことに、この円の半径はなんと、約420mでした!
えっ、だからどうした?、という声が聞こえてきますね(笑)。
古代の測量単位をおさらいしましょう。
全国的に駅路が整備された時期は、7C後半ということで諸家一致しています。
天智天皇、天武天皇の時代ですね。
当時用いられていたのは35.3-35.5㎝の高麗尺で、6尺を1歩としていました。
6尺=211.8-213㎝ で、1歩=約2.1mです。
はい、勘の良い方はお気づきですね!
約420mを1歩で割ると、200歩という大変キリの良い数字となります。
偶然の一致としては出来過ぎです。当ブログでは半径200歩の円を基準にカーブの設計がなされたと考えます。
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では想定される設計図を見てみましょう。
幾何学の授業を思い出しながら、3D地図に補助線を書き加えたのが下の図です。
三辺の長さが3対4対5、内角が30°、60°、90°のピタゴラス三角形がいくつか見えますね。
円の中心をどうやって割り出したかは一目瞭然です。
もう一つ気付くのが、カーブ外側に標高約57mの高台があり、北北東へ向かう駅路ラインの延長線上に位置していることです。
これも偶然ではなく、ここがまさに駅路ラインの起点となる測量点です。
その証拠に、このラインを延長していくと・・・
約9㎞離れた初岬の先端にぶつかります。遠くからでも分かりやすいですから、目標物としたのでしょう。
念のため、kashmir3Dで見通せるかどうか確認しましたが、「見えます」との判定でした。
なお、既報の通り、このライン上には直線道路の痕跡地形がいくつも並んでいることを、故・木下良先生も指摘されています。
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恐らく設計者は、北北東ラインを決めた後、石名坂から伸びる東西ラインと滑らかに接続するため、「大甕大カーブ」を設計したのでしょう。
基準円のサイズは任意ですから、現場の地形に適合し、キリの良い半径200歩を選んだに違いありません。
現役だった当時、大規模な切通しを施したこの大カーブは、行く人に遠い都の威光を感じさせたことでしょう。