Googleマップ上の「直道」痕跡
中国最古の統一王朝「秦」といえば万里の長城や始皇帝陵など巨大な建造物で知られてきましたが、近年、「直道」という”中国最古の高速道路”の存在が注目されるようになりました。
道路幅は山間部でも平均約30mで最大約50m、全長700㎞に渡って南北に伸びていました。
司馬遷の『史記』に「斬山堙谷」(山を切り開き谷を埋めた)と記された通り、想像を絶する規模の土木工事の跡が、今も各所に遺存しています。
そして、なんとその痕跡が、手軽にパソコンで見ることができるのです。Googleマップを使って。
下図は、内蒙古自治区オルドス市周辺の黄土高原上を走る痕跡地形で、幅約60mに達します。長年の風雪によりガリと呼ばれる浸食谷に寸断されています。
PCソフト版のGoogle Earthでは、撮影日時を遡れますので、さらに積雪期を選ぶとこの通り地形が浮き上がります。
俯瞰して見ると下図の通りです。途切れ途切れではありますが、滲んだ帯のようにルートを見て取ることができます。
Googleマップで比較的明瞭に見える痕跡をピックアップしてみました。
対匈奴の軍事道路「直道」
直道は帝都咸陽(現:西安)近くの甘泉宮(陝西省淳化県)と、対北方民族の防衛拠点である九原郡城(内蒙古包頭市)を結ぶ南北幹線道路です。
終点の九原郡城と考えられているのがここ、麻池古城。南北に連なる二つの方形城郭です。北城が一辺約600m、南城が一辺約700mあります。
『史記』によれば、始皇帝の指示で中国統一の翌年、紀元前212年に建設が始まり、遅くても2年半後という短期間に完成しています。
さらには沿線には一定距離で、皇帝らの休憩用「行宮」や道路整備・防御や駐屯部隊のための「亭障」、関所や駅舎も設けられていました。
以降も300年間に渡って「北方軍事・外交の道」として使い続けられ、後漢中期頃に人為的に破壊、放棄されました。北方民族との力関係が逆転したためと推定されています。
なお、全国的な道路網「馳道」も同時に、総延長約7,500㎞に渡って整備されました。
こうした計画的・全国的な道路網や交通制度の整備は、後の隋・唐に引き継がれ、律令国家体制と共に日本へ導入されることになります。
山陰道はミニ直道か?!
近年、国内の山陰道遺構で丘陵尾根上を切り通した大規模工事の跡が見つかり話題となりました。注目されたのはその構造で、なんと直道にそっくりなのです! 下の記事をご覧ください。
改めて図を掲げますと、秦直道の工法は下の通りです。規模は違えど類似の構造が見られることは、極めて示唆的です。
誤解を恐れず言えば、直道に見られるような大陸の土木技術が、時代を越えて日本に持ち込まれ駅路建設に用いられた、ということでしょうか。
そして現地踏査プロジェクトへ!
調べれば調べるほど、現地を歩きたくなるものです。”秦直道現地踏査プロジェクト”と銘打って古街道研究家の宮田太郎さんとご一緒に、大陸をさまよって参りました!
下の動画では、黒い石碑の位置が直道中央。白シャツの宮田さんと私の間の広い空間が道路敷で、最後に高原を貫く切通しが写っています。
その模様は下の記事をご覧ください。
【追補】Googleマップでみる様々な痕跡地形
Googleマップと同じように使えますが、撮影日時の変更や画像保存など様々な機能があるパソコンソフトのGoogle Earthを使用することをお勧めします。