本シリーズ最終回は、奈良時代の前期駅路の直線性へのこだわりを体現したかのような、ダイナミックな切通しの登場です。場所は、阿見町飯倉、大形の大字界です。写真からどうぞ!
向かって左側のこんもりとした帯状地割も含め、駅路の敷幅だったと思われます。有名な五万堀古道(笠間市長兎路-仁古田境界)にもそっくりな痕跡地形が残っています。
阿見町の切通しは、地形を見ると、谷頭部に大きな工事を施して横断しているのが分かります。例の立体微地形図をどうぞ。
ちょっと左に迂回すれば工事は楽だったでしょうに、あくまで直線です。図の奥を見て頂くと、前回同様、凹凸を切通したり土を盛ったりして平準化した痕跡もあります。盛土部分と周りの地面との高さの違いはこの写真をご覧下さい。
以上で、古代東海道榎浦駅-曽爾駅の直線区間についてのレポートは終わりです。残念ながら未発掘なので考古学的には確認されていませんが、大変有力な想定ルートであると感じました。また、未踏査の前後区間についても、地元研究者の皆さんが復元作業を行っておられるようです。機会があればレポートいたしますね。
長文にお付き合い頂きありがとうございました!