水戸市渡里町から那珂川を渡った先に、北東方向に台地上を走る直線道痕跡があります。先日レポートした五万堀古道の延長線上にあり、木下良氏はじめ先達が東海道駅路の想定ルートとされています。では、凹道探索へ出発!(笑)
なお、今回の最大のねらいは、切通し状の地形をチェックすることです。例の5mメッシュ(標高)データを使うと、帯状窪地の存在が覗えるのです。
まずは、前回終点から、那珂川を渡り同市田谷町の切通し坂を上って、台地に上がります。現道は一旦、西に膨らみますが、想定ルートは直進し、現道脇にこのような幅約20mの細長い地割を形作ります。
下の写真では、小屋の左側の1段高くなった痕跡と思われる区画です。
痕跡が再び姿を現すのは、水郡線線路を渡った先です。畑脇の道はわずかに東(向かって右)に振れており、左の雑木林を含め想定ルート上となります。
1947年10月の米軍航空写真で、中央に写真の場所を置いてみました。フレームを斜めに横切る直線道痕跡がハッキリ見えます。美しい!(笑)。なお、中央左下に「一の関溜」が写っていますが、築堤して突っ切っているのが見て取れます。
次は、自動車教習所脇のこの地割り。先ほどの条理余剰帯と同じ幅です。なお、この辺の地名は「海道向」。海道とは古代、東北地方の太平洋岸を指していたそうですから、関連地名でしょうか。
1947年11月の米軍航空写真で見るとこの通り。
最後に、例の切り通し状地形です。現地の写真をどうぞ!
余談ながら、この東には城址が残されています。古来、交通の要衝であった証しとも言えそうです。