「榎浦の津あり。すなはち駅家を置けり。東海の大道にして常陸路の頭なり」。
奈良時代初期に編纂された地誌『常陸国風土記』の信太郡(しだぐん)の条に、そう記載されているそうです。かつて関東平野東部に湾入していた内海「香取海(かとりの海)」。古代東海道が下総国からこの内海を渡り、常陸国に入った最初の駅が榎浦津でした。本シリーズの出発点です。
いつもと違って格調高い導入部となりました(笑)。低地部を暗色で表し、高度を3倍強調して、地形を読み取りやすくしています。榎浦駅から伸びる青線が、今回の主役である奈良時代の前期駅路です。一方、榛谷駅から伸びる黄緑線は平安時代の後期駅路です。途中で合流していますが、これは木下良氏の復元されたルートを参考にしています。破線は未検証(自信なし)です。
次に、古代の地形と地名を対比している山路直充氏の作られた図をご覧下さい。駅路の想定ルートは異なりますが、「香取海」が存在した時代のイメージを掴んで頂けるのではないでしょうか。
最後に、渡海後の常陸国府までの駅路のルートを、立体地図上で概観下さい。平安時代の駅路が書き込まれていないのは、単に忘れたからです。12m前後の幅と直線性を持った“官道の中の官道”、前期駅路への筆者の偏愛が見て取れます(笑)。
さて、次回からは、現地探索のレポートとなります。このルートは駅路痕跡のショーケースといっても過言ではないでしょう。乞うご期待! 痕跡の不明瞭な榎浦駅はスルーし、稲敷台地の上から始めます。実は、写真を撮るの忘れました。m(_ _)m