現地探索してきました。結論としては、本シリーズで最大の“発見”かもしれません(笑) まずは、いつも通り米軍航空写真で予習を!
まずはA地点。低湿地から1段高くなった笹ヤブの向こうを想定ルートが通っています。林の中のヤブに踏み込むと、浅い切り通しの凹道となっていました。写真を撮ってみましたが、ヤブしか写ってませんでした(笑)
ヤブを突破すると田圃のやや広い畦道に出ます。写真は振り返ったところ。
そのすぐ先のB地点は、航空写真でもクッキリと見える切り通し状地形です。平らな部分は宅地になっていました。
これだけでお腹いっぱいな感じなのですが、地点Cにも100m以上に渡って、直線的な帯状窪地が!
この緩やかな凹道、そして20mはあろうかというその幅。心のなかで叫びました。「ワレ、駅路痕跡ヲ発見セリ!」。ダメ押しが地点Dのこれまた広い切り通し状地形。写真は振り返ったところ。上部は伐採された木々で埋まっています。
先の地点Dにも、立派な切り通しが現道として残っています。
ご存知の通り、アマチュアな私ですから、全くの勘違いかもしれません。でも、自分で想定したライン上にあやしい地形を見つけた時ほど、心が高鳴ることはありません。皆さんも凹道探索、いかがですか?(笑)
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【補足】木下良氏は『日本古代道路の復元的研究』(2013年)で、この区間について、「なお、工業団地北側の痕跡不明部分は、西方から谷頭が入り込んできているので、この部分を東方に若干迂回する経路をとったことが考えられる」とされています。私はさらに突っ込んで、元来は直線道だったが、谷の開析が進み、後世に付け替えられたのではないか、と考えています。