榎浦駅から稲敷市上君山までの区間は、明瞭な痕跡が残っていません。『地図でみる東日本の古代』では破線を想定ルートとしていますが未踏査。一方、官衙の痕跡に目を転じると…、スゴいんです(笑)。
土師器を中心に、須恵器やら灰釉陶器?やら、布目瓦やらの破片が、地面を覆って散布しています。
一際高台に「木瓜台」という地名があります。郡家の比定地には「郡(こおり)」の地名が残ることがよくありますが、「こおり」→「きゅうり」に転訛したのでしょうか。いばらきデジタルマップの文化財マップで見ると遺跡指定されているようです。周辺の景観もいかにもという感じです。
マップを見ると「下君山廃寺」のマークもあります。地元研究者の方のサイトによると、布目瓦が散布し、付近には柱の路盤までが見つかっているそうです。なお、「木瓜台」の西隣は、「長者山」と呼ばれているそう。もう、“鉄板”ですね(笑)。
さて、駅路の方は不明なままでよいのか、という良心の呵責がありますので、旧版地図と1947年の米軍航空写真を掲載します。憶測は浮かびますが、なにせ未踏査なのでご勘弁を! 次回からはいよいよ駅路痕跡をご紹介いたします。