現地レポート

常陸国の古代駅路Ⅳ ④稲敷市蒲ケ山の屈曲点の謎

今回ご紹介する区間で、一か所だけ、駅路が「く」の字に屈曲して谷頭を迂回したように見える場所があります。直線性にとことんこだわる奈良時代の駅路ですが、ここだけは地形的に諦めざるを得なかったのでしょうか? 立体微地形図で概観をご覧下さい。

蒲ケ山の屈曲点

論より証拠ということで、まずは、青線の想定ルートに痕跡が残っているかをチェックしましょう。手前から低地に下る現道脇の雑木林に入ってみると…。

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この通り、見事な帯状地割が続いています。民家の塀際に覗く凹状地形をふまえると、この地割と現道までが、かつての駅路の敷幅だったと想像できます。

谷底道を先に進むと、再び台地に上る場所に切通し地形があります。立体地図で見るとそれなりの広さがあるはずですが、藪が酷く写真ではよく見えません。整地に伴い埋め立ても進んでいる様子。上りきってから振り返ると道の痕跡らしい地形が見て取れます。

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このように想定ルートは、曲折する谷底道に沿った後、元の直線へ復帰しています。この様子は、旧版地図と1947年の米軍航空写真をご覧頂くと分かりやすいと思います。

蒲ケ山の屈曲点_迅速測図
出典:歴史的農業環境閲覧システム(農研機構農業環境変動研究センター)
蒲ケ山の屈曲点_明治39年測図の旧版地図
時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成
USA-R1183-27_19480327_稲敷市_蒲ケ山

痕跡からすると、駅路がある時期、迂回路をとったのは確かなようですが、その理由となると想像を膨らませるしかありません。ただ、こういう場合、他所の例でみると、当初は直進していたが、後世になって谷の開析が進み、谷頭を避けるために道を付け替えたケースが多いようです。

もしかしたら、武蔵国の東山道から東海道への所属替え(772年)に伴う駅路の再編成に起因する付け替えかもしれません。旧版図の左から合流してくる黄緑破線が、平安時代の駅路です。

さて、次回は、立体微地形図で藪の中に痕跡を発見!、というレポートです。乞うご期待!

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