現地レポート

下総国の古代駅路 ⑧実踏レポ ~野毛平切通しから荒海駅比定地へ~

さてさて、今回は説明抜きで、野毛平切通しの写真からどうぞ!

成田市の野毛平切通し2
成田市の野毛平切通し3
成田市の野毛平切通し 土橋

新道建設に伴い西側が消滅していますが、東側の切通しと谷底の土橋は良好な状態で残っています。切通しの底幅は3m前後。まだ、竹が生えてきていませんから、廃道化してそれほど経っていないようです。両壁はかなり切り立っており、安定勾配化していません。ゆっくりと崩落が進んでいます。

残念ながら、現状の姿からは、平地で幅12m前後(側溝芯々間)あった奈良時代の前期駅路の痕跡とは断言できません。

野毛平切通し3D地図

比較のため、前期駅路の切通し痕跡を、常陸国の例でご紹介しましょう。まずは、よく知られた高萩市石滝の切通しです。藻島駅比定地の北方に位置します。

高萩市の石滝切通し

つぎに、那珂市額田南郷の切通しです。あまり知られていませんが、茨城県教委『古代東海道と古代の道』(2015年)の推定ライン上には乗っています。動画でどうぞ!

ご覧の通り、凹道の幅がゆったりと広く、大規模な工事が施されているのが分かります。一方で、野毛平切通しはやや窮屈な感じを受けます。

ただし、古代の道が後世の改変によって、大きく姿を変えているケースもあります。

何度か登場しているかすみがうら市下稲吉の連続切通しでは、下の写真のような地形も存在します。

かすみがうら市の下稲吉連続切通し
かすみがうら市の下稲吉連続切通し2

野毛平切通しに似た雰囲気ですよね。

おそらく敷設当時は、現在は蓮田になっている低湿地を渡るため、前方に見える切通しまで土橋が伸びていたはずです。この土橋が後世になって邪魔になり崩された際、切通し側も切り下げられたため、現在のような狭い道幅となったと推定されます。

もしかしたら野毛平切通しも、後世の改変の結果、現在の姿になったのかもしれません。

切通しを後にし、成田市荒海周辺の荒海駅比定地まで歩いてみました。こちらも説明抜きで写真をご覧下さい。

荒海駅比定地へ向かう現道
荒海駅比定地へ向かう現道脇の旧道
荒海駅比定地へ向かう丘陵上の現道

迅速測図にある道が現在でもほぼ踏襲され、一部では旧道が残っていましたが、残念ながら明確な駅路の痕跡地形は見つけられませんでした。谷の開析が進んで失われたのか、もともと存在しないのか、どちらなんでしょうね?(苦笑)

駅家比定地の西端に建つ姫宮神社まで歩き、今回の実踏は終了といたしました。

成田市磯部の荒海駅比定地周辺

発掘調査で分かった古代の港津の様子は、水面へ下るスロープに石を敷き詰めた簡素なものだそうです。舟は単純にそこに乗り上げ、杭に舫をつなぐだけだったとも。(近江俊秀『日本の古代道路』角川選書 2014年

比定地はそのイメージにピッタリの地形で、活気のある古代の港の風景を想像させました。遠くには、筑波山や加波山を望むことができました。

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