古代史で「大神」というと、奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社を思い出される方も多いと思います。神々の宿る神聖な山である神奈備(かんなび)・三輪山を遥拝する信仰の姿から、“日本最古の神社”とも言われています。主祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)は、蛇神であるとされています。
一方、奈良時代編纂の『常陸国風土記』逸文よれば、新治郡に設置されていた大神駅の名前の由来は、「大蛇多くあり因りて駅家に名づく」とあります。「大神=大蛇」の図式がここにも見られ、興味を引きます。
比定地を巡っては、大きく二説が唱えられ、議論が続いています。
まず、木下良氏説の桜川市平沢からご紹介しましょう。
一帯は大神台遺跡に指定されており、未発掘なものの、縄文土器の他、土師器、須恵器の破片が多く表採されています。高峰(竜神)山をバックに、平地に突き出す舌状台地はなかなか迫力があります。
なにより、なんだか地形が大神神社と似ていませんか?(笑) 3D地図の黄色破線は、前回ご紹介した常陸・下野・下総連絡路で、台地を横断しています。
県教委の報告書では、周辺の小字地名に注目し、「すべてが同年代とは限らないが、地名は、東に出入口があり、何らかの施設跡であることを示しているように思われる」としています。下図を見ると納得!
なお、一帯は平将門伝承が濃密です。例えば、将門討伐部隊の進軍を阻んだ池に因んだ「池亀(池上)」。「身洗バ」(御洗い場)は将門の首を洗ったことに因んだ地名だそう。深入りは避けますが、常陸国の玄関口という地理的位置を思い起こさせます。
何を隠そう私、将門ファンです(笑) いつか、乱にけおる進撃ルートと駅路の考察をアップしますね!
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すでに、かなりの長文になってますがご勘弁を!
さて、もう一つの説ですが、県教委の報告書では、笠間市大郷戸(おおごと)を比定地としています。明治32年刊行の『新編常陸国誌』では、大郷戸とは「大神門」の転訛したもので、新治郡巨神郷にあったことに由来するとしています。歴代、多くの専門家が支持しています。
この説では、下野・常陸連絡駅路は大郷戸から、安侯駅を経由して国府に至ることになります。律令(厩牧令)では駅と駅の間の距離は30里(約16km)と定められており、およそ当てはまります。
また、大郷戸から西に戻ると、官道交差点に至りますが、ほぼ30里にあてはまります。ここに一駅(小栗駅と仮称)あったと仮定すると、駅間距離の観点からは、整合性がとてれいます。
大変説得力がありますが、①小栗駅(仮称)から小栗道で湯袋峠を越えるより一駅分遠回りとなり、直達性を重んじる駅路としては不自然、②隣接する栃木県益子町にも大郷戸地名が存在し、古代郷名との関連性に疑問なしとしない。・・・の二点が少し引っかかります。
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なお、平沢説で木下氏は、板敷峠(標高112m)を越え国府に至る駅路を想定されています。実はわたくし、この間、30kmほどを探索してみたことがあります(笑)。詳しくは過去記事をお読みいただきたいのですが、特に難所もなくスムースに歩けました。小栗道の湯袋峠(標高250m)ほど標高もありません。
県教委の報告書では、延喜式内社の鴨大神御子神主玉神社(桜川市加茂部)など古社が沿道に多数あることから、「これらの神社は国府方面への要地にあり、南北道の伝路があった可能性もある」としています。
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以上の通りで、二説とも決め手に欠け、発掘調査で駅路痕跡や駅家跡が確認されるまで、議論が続いていくことになりそうです。それもまたよし!(笑)