造山古墳前方部に建つ荒神社には、九州産の阿蘇凝灰岩で作られた長持形石棺が安置されています。ここから出土したとも、近くの古墳から運ばれたとも言われています。
近くには蓋部分の一部も残っており、よく見ると朱が塗られているのが分かります。
残念ながら、造山古墳本体では埋葬施設の発掘調査が行われておらず、被葬者の手がかりも限定的です。一方で、陪塚からは様々な出土品が見つかっています。
その一つである千足古墳では九州系の横穴式石室が2基並行して存在しています。直弧文の彫刻がある石障で知られ、付近にレプリカが展示されています。
同じく榊山古墳からは、半島由来と見られる馬形帯鈎(帯留め)が出土したと伝えられ、須恵器のルーツとなる伽耶系の陶質土器が採取されているそうです。(葛原克人、古瀬清秀『吉備の古墳 第3巻』2000年)
造山古墳群は、当時の吉備が、畿内のみならず、九州、半島と、広い地域との交流を持っていたことを教えてくれます。
つづく