木曽地方を除く岐阜県が、古代の美濃国にあたります。国府は不破郡垂井町で遺構が確認されています。
国府、国分僧寺・尼寺と東山道駅路の位置関係は極めてシンプル。
(垂井町教育委員会『史跡美濃国府跡 保存管理計画(案)』2014年より)
近世の中山道が、やや左右に振れますが、直線的な駅路を踏襲していると考えられています。
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駅路設計者はどこを測量台にして、なにをターゲットにラインを引いたのか、気になりますよね?
kashmir3Dでチェックしてみると、国分寺東方にある二つの大型古墳の存在に気付きました。
墳丘長150mで県下最大の前方後円墳・昼飯大塚古墳(ひるいおおつかこふん)と、墳丘長100mで東海地方最大の前方後方墳・粉糠山古墳(こぬかやまこふん)です。
結論から言えば、設計者はまず図左下の山地小ピーク(342.3m)から粉糠山古墳へ向けて線を引き、ぶつかる直前でやや西に方向を変え、昼飯大塚古墳のギリギリ北を通したようです。
ちょっと面白いのは、米軍航空写真で見ると、中山道が北に膨らんでいる個所にちゃんと直線地割が見て取れること。ここが元々の東山道のラインだったのでしょう。
では、昼飯大塚古墳から歩いてみましょう。きれいに公園として整備されており、一部は葺石や埴輪が復元されています。
下の写真は、後円部から国庁方向を眺めています。東山道はここから山々の谷間に向けて直進します。
この谷間こそ、鈴鹿山系と伊吹山系に挟まれた交通の要衝・関ケ原です。
全体像はGoogleEarthでどうぞ。
さて、現道を辿りましょう。旧中山道だけあって、やはり風情があります。
ほどなく、国分寺跡に到着。とてもきれいに整備されています。
塔跡。
金堂跡。
全体像はまたGoogleEarthで。
今回はここまで。