現地レポート

美濃国の古代駅路 ②国府域を歩く・下

国分寺を出て、東山道推定ライン上に戻ります。旧中山道との道標がところどころに立っています。

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現道を南西に真っすぐ進むと、「垂井追分」で左から来た旧美濃路と合流します。写真は分岐点を振り返って見たところ。

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ここは1709年建立という道標が建っています。

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実は古代においては、この旧美濃路は尾張国を通る東海道との連絡路であったと考えられています。

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(木下良『日本古代道路の復元的研究』2013年より)

東山道は垂井川を渡河後、旧垂井宿の辺りで、不破関へと方向をやや西へ転じます。

上図のように、国庁と一ノ宮である南宮大社(不破郡衙)を繋ぐ南北道路が推定されており、その十字路付近に不破駅が比定されています。

明治時代の地図でみるとこの通り。

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では、国庁跡を訪れてみましょう。

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なんか、あっさりしてますよね(苦笑)。案内板はこの通り。

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地元の方にご説明頂いたところ、最初の写真の花壇が東脇殿の位置を示しているそうです。

詳しくはこちらをご覧ください。

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(垂井町教育委員会『史跡美濃国府跡 保存管理計画(案)』2014年より)

正殿は南宮御旅神社の境内となります。政庁正殿の跡地に神社が建てられているケースはよくありますね。

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町では今後、公園として整備する方針だそうで、楽しみにしております。

さて、次に古代三関の一つ不破関跡へ向かいます。国府との位置関係はこの通り。

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まずは、地元の歴史民俗資料館がGoogleEarth向けに公開している3Dデータを使わせて頂き、概観をご覧ください。

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西は藤古川が作った段丘崖を利用し、南北東の三方に版築土塁が巡っています。現在でも写真の通り、土塁跡は明瞭に残っています。

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では、今度は、東山道を東から西に歩き、不破関を横切ってみましょう。まず、不破関の東城門があった辺り。

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この辺りが中心部。不破関跡の案内板が立っています。旧中山道の風情も残っています。

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さらに進むと、西城門があった辺りです。段丘崖を下っていきます。

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この橋で藤古川を渡ります。壬申の乱で両軍がこの川を挟んで対峙したそうです。

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水面と段丘上の高低差は10~20mあったとのことですが、俯瞰したこの写真なら当時を偲んで頂けるでしょうか。

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以上で、今回の美濃国の旅は終了です。長文にお付き合い頂きありがとうございました。

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