現地レポート

吉備路古代紀行 ③国分寺門前のテラス構造と古代山陽道

備中国分寺は田園地帯の中の小高い丘の上に築かれています。吉備路のシンボルとなっている五重塔がどこからでもよく見えるのは、この立地のおかげでもあります。

ただし、逆に言えば、寺域と駅路に高低差が出来てしまうということ。現代のお寺なら階段で繋いだことでしょう。ところが、古代の設計者は、とてもユニークな工夫をしたようなのです。

まずは結論から。カシミール3Dで当地の微地形と、推定される駅路ルート(トップ画像)をご覧下さい。

南門の外にテラス状の広場を作り、そこにスロープで駅路を引きこんでいるようです。随分と古代道路を歩いてきましたが、こういう構造は初めてです。

1961年の航空写真に見える地割も、推定の根拠としています。

備中国分寺 1961年航空写真

なお、案内看板にあった寺域の見取り図はこの通りです。

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お気付きと思いますが、南門と中門の間で井戸が見つかっています。これも珍しい位置であり、もしかしたら駅路の通行者の喉を潤していたのかもしれませんね。

さて、薀蓄も飽きたことと思いますので、実際に歩いてみましょう!

直進してきた駅路が、国分寺の手前で突然、左に屈折しスロープを上ります。

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坂の上はこの通り、幅10m以上のテラス状の地形となります。幅12m(側溝芯々間)の駅路痕跡そのものだと考えます。

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来た道を振り返るとこの通り。

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少し進んで、南門跡から振り返ったところです。築地塀のすぐ外にテラス状地形があることが分かります。

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南門から奥に入ると、井戸跡が残っています。

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もとに戻って東に進むと、テラス状地形が続いています。その向こうには駅路痕跡の現道が。

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振り返るとこの通り。

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地元では特に注目されていないようですが、国分寺の前で駅路がまるで車寄せのように屈曲しているケースは他に知りません。

元々は現在の五重塔より高い巨大な七重塔が立っていたそうですし、井戸の位置からしても、国力をアピールする意図で特別に凝った設計としたのかもしれませんね。

つづく

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