備中国分寺を出て、こうもり塚古墳の横を進むと、大規模な切通地形に差し掛かります。備中国分尼寺はこの北側斜面に築かれていました。
現地案内板に掲げられている寺域の見取り図はこの通りです。
南門跡前で幅6mの砂利敷道路の遺構が確認されており、山陽道だと考えられています(木下良『辞典 日本古代の道と駅』2009年)。古代の“国道一号線”と言えども、発掘事例は数件しかなく貴重な遺構です。
1961年の航空写真に見える地割からも容易にルートが推定できます。
なお、古代道路にお詳しい方は、奈良時代の駅路は幅12m(側溝芯々間)だったはず、と訝しがられるかもしれませんが、切通部分ではさすがに半分の幅としたケースがあったようです。
以前、佐賀県の吉野ヶ里遺跡の西方にある西海道駅路の切通遺構「鳥ノ隈遺跡」をご紹介しました。
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さて、薀蓄はこの辺にして、良好に保存されている遺構群を歩いてみましょう。
まずは、寺域南端部に土塁状に残る築地塀の跡をご覧下さい。
往時にはこの築地塀に南門が設けられていました。ですから、門前の広場状のエリアが古代山陽道ということになります。この下が、例の6mの砂利道です。駅馬の嘶きが聞こえそう!(笑)
では、南門から寺域を北に向かいましょう。中門はこの通り。
金堂では約20個の礎石群がそのままの姿で並んでいます。桁行5間、梁行4間であることから、法隆寺の金堂と同規模だったのではないか、と地元では語られています。
地面をよく見ると、布目瓦が散布しています。
キレイに整備されて公園化されている遺跡とは違った、生々しさがたまりません!(笑)
つづく